普段は色々なことに終われて必死ですが、

  休みの日にある程度疲れもとれて、

 なんとなくゆっくりと時間を過ごしていると、空しさが胸に募ります。

 

  15~16歳のときにも、こういう心情になりました。

  あまりにも壮絶な日々を過ごした十代前半。

  それよりも大変だった幼少時代。

 

  童心を捨てて、そのときやるべきことを必死にこなしてきました。

  自分を振り返る時間なんてほとんどなかったし、

 また、そうしたくもなかったのです。

 

 でも、中学も卒業して、穏やかな日々を送るにつれて、

「私はこの世に出て、やるべきことは全部やった。もう思い残すことはない」

 と考えるようになりました。

 これ以上、どう生きていいのか分からなくなったのです。

 

  別にやりたいことも、興味をもつこともなにもなくなりました。

  古典の世界に出てくるように、後は出家でもして、

 余生を過ごしたいと考えていました。 

  私はそんな年に、一生分のエネルギーを使い果たしたんだと思います。

 

  そんなときでした。

 自分が見聞きしてきたことや考えてきたことを書き残そうと思ったのは。

  自分は十分苦悩を味わった。

 残すところは、後代の人間に無駄な苦悩を与えないことだ、と。

  きっかけは漱石の草枕でした。

 

  一個人ができることは限られています。

  物理学の発見のように、目に見える形で、人類には貢献できません。

 それが芸術と科学の違いなんでしょう。

  心の世界の発見は、盲目な人間の心の暗闇を照らすことでしょう。

 それは、人生の灯明になります。  


 今の私は、十代のときに学んだことを基本に、

 やれそうなことをやろうと試みているだけです。


  客観的に見れば、歪んだ成長をしてきたんだと思います。

  ある部分だけが突出していて、

 世間的に普通だったり当たり前だったりするところで、普通ではない。

  私は、そんな偏った人間です。

  その偏りを補正しているのが、今だと思っています。


 大人の事情に翻弄されて、疲れた子供だった私。

 もう一度童心に返って、自分の中に成長できる材料を探し出したい。

 心の中に、温かさを取り戻したい・・・

 

 疲弊しきった魂では、世の中そのものを、

そして自分自身を正確に捉えることはできないでしょう。

 

 子供の買うようなお菓子を眺めて、小休止です(・ω・)