前回の内容で・・・「本当のところを伝える」
という記述があったと思います。
しかし正確に言えば、本当に起こったことを書くと
迷惑される方が何人か、私の周りにいらっしゃるので、
細々したことは、きっと一生書くことはできないでしょう。
それでも、人は言葉をもち、様々な伝達手段をもちますから、
共通の認識を作ることはできるわけです。
私にとって、その一つが「書くこと」
これは、16歳の時から始めましたが、
私の精神的疾患のため、ごく最近まで筆を折った状態でした。
本当に封印を解き始めたのは、この一年くらいでしょう。
私の長かった冬も、ひとまず終わりを告げたんでしょうね。
しかし、ふと冬眠から目覚めてみれば、手足の自由が利かなくなっていました。
長すぎた運動不足のせいでしょうね(^_^;)
自分がどんな活動をしたいのか、分らなくなっていました。
そこで、もう一度、自分の根本を見直してみました。
自分の内面を掘り起こしてみれば、色々なものが出てきます。
遠い昔、子供のころに忘れていた「宝物」ばかりです。
私にとって「書くこと」は、陰惨な経験に基づいた、
厭世的世界観からひらめきを得ています。
つまり、物事をすべてわざわざ「裏側」からみて
「表側」を探ろうとするひねくれた手法です。
闇から光を求めるようなものです。
それは、不健康な精神に根ざしています。
19歳まで、ずっとそういう生き方だったと思います。
しかし、そのとき「死」を疑似体験することで、
そうした不健全なものを吐き出そうとしたのでしょう。
その後、再生を模索する中で、時間はかかりましたが、
物事や人を包括的総合的にみる手段として、
「演じること」をもっと勉強したいと思いました。
その思いで、東京に来ています(*^o^*)
私にとっては、「演じること」は自分を健全に立て直すことです。
東京に来てから、ずっとそれに終始していたと思います。
本当に活動するための準備運動でした。
私が自己を告白する気になったのは、
それがそろそろ終わりに近づいているためでしょうね。
準備運動が終わりになれば、自ずと、
アウトプットすることが主流になっていくでしょう。
不健全な精神が癒されて、厚生すれば、
書くものでさえ、厭世的ではなくなります。
例え、どれだけテーマが悲惨で無惨なものであったとしても!