分りにくいですが、西本願寺・阿弥陀堂です。
御影堂は修復工事中でした・・・(-"-;A
思い出の中の出来事を確認したくて足を運んだのに・・・
残念でした(-。-;)
本願寺は、祖父の骨納めのとき、初めて来ました。
10歳くらいだったと思います。
最も、そのときは御影堂の方でしたが・・・
言うまでもなく、京都はほとんどの家が浄土真宗です。
うちも先祖代々そうで、そのうち私もお世話になります。
日本人特有といえばそれまでですが、普段はあまり宗教とは関わりなく過ごして、お葬式の時には世話になるという感じです(^_^;)
そんな訳で、本願寺や浄土真宗は、私の中でお葬式のイメージがあります。
当然、お葬式=「死」です。
だから、私にとって本願寺は「死」を象徴する存在。
そのうち、私の骨もこの寺に納められる日が来ます。
誰もが肉体の死を迎えるのです。
私は「死」の経験があります。
もちろん、肉体的に死ぬ瀬戸際までいったという意味です。
精神的には完全に死んでました。
でも、その時に、不健全なものを吐き出す自浄作用があったことは、間違いありません。
そこから生まれたものも大きい・・・
私はその「自浄作用」からくる精神的カタルシスに、長い年月苦しめられましたが、とりあえず生き残れました。
完全な死とはどういうものなんでしょう?
とても想像がつきません・・・
今の私は、再生に向かって進んでいます。
それが、小説を書くことであったり、事務所探しだったりします。
私の中では、執筆と演技は不分離な衝動です。