随分更新が滞っていました。やはり気が重いこの日の記憶。
恐らく読んでいただくと、気が重いというのが嘘のような内容になると思いますが…。
昼に病院に行き、なんだか事務的な準備や説明などをしたと思う。
術後の前開きのスポーツブラのようなものを強制的に選択させられ(色・サイズ)
足先が開くふくらはぎの圧迫靴下(白)や提携(?)のシャボン玉石けんと歯磨き粉などのセットを渡され、
カツラや身に着けているものを取って、手術着に着替え、いつまでに靴下を履いておくようになど。
手術の時間まで『回復室』で待機し、特にやる事もなく寝不足気味だったので寝ていた。
(前回の手術のくだり)
それから16時だったか18時だったかにいざ手術室へ。
詳細はもうあまり思い出せないが、診察の先生が様子を見に来てくれた。
手術に直接係わらない先生が気にかけてくださり、安心するよう言葉をかけて頂き優しいなと思ったが、
先生『カツラは取って』
私『地毛です』
先生『凄い生命力!』
というやりとりを残し去って行った…。なんなんだ(笑)
それからは脊髄に麻酔を打ち、
(個人的にはこれが痛みよりも、動いてうっかりズレて刺されると半身まひなどになるのではないかという恐怖)
その後、口には酸素吸入と一緒に別に眠らせる薬を吸引させられ意識を失う。
次に目が覚めた時、執刀医の先生と他の先生か看護士などの雑談のような話し声が聞こえてきて
『不味い所で目が覚めてしまったのかな、私』
と思っていたら手術が終わったようだった。計算ずくだったのかとホッとした。
が、間もなく『では起きてください』と看護士に言われた。
説明は受けていたが、誰にこの話をしても凄いねと言われる。
『大丈夫ですか?では回復室に戻りましょう』といって、自力で歩いて病室に戻った。
そういう病院なのです。
それから自分の回復室でベッドに横になり、すぐにはまだ朦朧としていて痛みや手術の実感はなかった。
時間にして手術は2時間ほどだったのを確認したのを覚えている。
病院からも母には連絡して貰えたのだが、自分で手術していない方の左手でメールを打ったと思う。
それから眠った。
睡眠導入剤を飲んでいたと思うが、
眠っていても担当看護士が1時間おきに様子を見に来るのでその都度目が覚めた。
手動で痛みを感じたら痛み止めを入れるスイッチを押してくださいと渡されていたのだが
時間が経つにつれて背中が痛く、水を飲むときに電動でベッドを起こして良いと言われていたのを
少し起きた状態にして寝ていたら、様子を見に来た看護士に怒られ、
『背中が痛すぎて寝ていられない』と訴えると
傷口を圧迫していたバンデージ(デポジット1万円でレンタル)を緩めてくれた。
傷口よりも胸の上部の淵が痛かった。(後にリンパ液を外に出す管が入っていたことが分かった)
未明になってから看護士が来るたびにあちこちに入っていた管が1つづつ抜かれて行った。
母は立ち会えない(待つ場所もない、近くのホテルに泊まるのは拒否)代わりにタクシーで帰るように約束してと言っていた。
私はゴールデンウィーク中に車の方が時間がかかる可能性もあるし
事情を知らない運転手がお喋りだったら、それに1時間も付き合う方がウンザリするから電車で帰ろうかと思っていたが、
こんなに痛くて苦しいのはやはりタクシーじゃなきゃ無理だな、と思いながら朝を待った。
バンデージを緩めて貰ってから少し楽になり、なんとか少し眠れやっと朝が来た。
丸一日絶食だったので、お腹が空いて、とにかく朝になり何か食べられるのを心待ちにしていた。
病院食は味気ないものを想像していたが、この病院は1階に健康食のレストランを経営しているので
そこから運ばれてくるのか、オシャレなカスクートにサラダと果物とヨーグルトだっただろうか、
それまで糖質制限を割と徹底していたのだが、むさぼるように平らげた。
不思議なもので食事をとると一気に元気が湧いてきた。
看護士さんが来て『ちゃんと食べれましたね。では洗面とトイレに行きましょう』と連れて行ってくれ説明を受け
『準備が出来たらそのままお帰りくださって大丈夫です。もし調子が悪ければ休んでいただいても大丈夫ですけど』
と、追い出されるような思いがしたが、のんびりしていてゴールデンウィークとはいえ混んでくるのは嫌だと思い
予定通りの朝8時ごろ、病院は閉まったままの時間、外に出て独りで歩いて駅へと向かった。