私の父方も母方も長寿家系で、一昨年亡くなった母方の祖母は95歳くらいだったし、前年まで農業で収入を得ていた。もちろん痴呆とは無縁で老衰であった。父方の祖父は戦時中に南方戦線でマラリアになって帰還し、後に胃がんになったこともあったが完治して以降30年くらい元気にしていたし、それ以外に親族に癌で亡くなった人は誰もいない。乳がんになった人はいない。その為ガン保険には入っていなかった。おかしいのは、心のどこかで乳がんになる気がしていたし、乳がんで死ぬつもりでいたのに。

 

点滴などの処置をしてくれる階の看護師長が迎えに来てくれて処置室に移った。改めて、その看護師さんから薬の詳細や副作用など事細かに説明を受けた。

http://ganjoho.jp/public/dia_tre/attention/chemotherapy/about_chemotherapy.html

 

3週毎の点滴と聞いていたが、実際には点滴から1週間後に好球菌減少により感染症にかかりやすくなる前に好球菌を増やす注射に来院してくださいとのことだった。聞いてないよ、通院回数が更に増えるのか!

 

大病院ではどの程度の副作用予防措置を取っているのか分からないが、この病院では、吐き気止め、抗不安薬、便秘薬、吐き気止め頓用、発熱時の抗菌剤を処方された。『点滴にも吐き気止めを入れていきますが、帰宅して寝るまでに効果がなくなるので頓用を服用し、次に12時間おきに飲める時間で通常の吐き気止めを飲んでください』『翌日からひどい便秘になるので便秘薬を飲んで用量は様子をみて増減してください』『好球菌低下で感染症になった際には命に係わるので抗菌剤を飲んで電話してください』などだったと思う。抗不安薬については、簡単に言うと抗鬱剤なのだが、私の酷くネガティブで泣き通しの状況のせいなのか処方されていた。病気と闘うのはよく眠る事も大事だとのこと。

 

そして、『1~2回は来るかもしれませんが、生理が止まり、そのまま回復しません』と言われた瞬間に、収まっていた涙がボロボロとこぼれてしまった。50代で独身という女性看護師はとても優しく親切に対応してくれて心を許せたが、慌てて『まだ40歳になったばかりだから確率は30代寄りだとは思いますが』と取り繕ったのは響かなかった。そう、独身のこの年齢だと、子供を持ちたいかなど誰も聞いては来なかった。そもそも年齢的にリミットが来ている事は分かっていたし、だからこそ色々焦ったり悩んだり落ち込んだりしていたのに、全ての可能性を奪われてしまうと思うと悲しくて止められなかった。

 

それからいよいよ点滴を始めた。この時は、もう後戻りできない、毒を注入されている、としか思えず泣き続けていた。それ自体は1時間くらいだったろうか。その間、待ち時間からやりとりしていた友人たちとの連絡で最終報告していた。治療拒否してからこの病院の予約日までの間、成長し続けて飛び出して来ないよう、癌もタンパク質で出来ているのだから動物性蛋白質とか控えた方が良いのかと豆腐や豆ばかり食べていたが、『体力をつけなくちゃいけないから何でも食べてください』と言われて安心した。朝10時くらいから、全て終わって6時位だっただろうか。疲れ果てて電車で帰路につき、心配してくれた知り合いが焼肉を食べに連れて行ってくれた。一旦治療をはじめたからには、、やるしかない!という気になった。