なんとかこの日までしこりが皮膚を突き破りませんようにと、毎日胸の皮膚と癌がくっついていないのを皮膚を引っ張って確認しながら待った。その日は私の苦手な朝の予約で、しかも都内だったので朝早く起きて遅れないように出かけた。急遽手術日が決まるかもしれない、緊張していた。この病院もかなり混んでいて予約時間~30分から1時間待っていたと思う。この日はあまりに長かったし色々と目まぐるしかったので詳細は覚えていない事も多い。
問診票には『切除したい』と書いた。順番が来てやっと診察になり、着替えて先生に見せ、触診とエコーとマンモグラフィーをまた撮らされた。この3ヶ月それぞれの病院で毎月マンモグラフィーを撮っている。マンモグラフィーだけでは疑いしか撮れないと聞くのに、大した意味もなくセットになっている。新しい歯医者に行くとレントゲンを撮られるのと同じだ。
先生は開口一番に、『日本中どの乳腺科の医者に見せても同じ答えだよ、自分がどういう種類の乳がんか分かってるの?』ときつめに言われた。私は必死に『私は独り者だし長生きしたい訳でもないので、抗がん剤までやって生きたいと思わないんです』と言った。すると先生は『でもね、今は手術できないよ。まだ若いんだし、そんな事言わずに』というようなことを言って諭していたと思う。この先生は率直な言い方をするオッチャン先生だが、冷酷さは感じなかったからか話しやすかった。抗がん剤は絶対に考えられなかったのに、手術して貰えないとなると、しこりが皮膚を突き破って血と膿を吹きだしてしまうのも困る、ということはもう抗がん剤をやるしかないという事だ。
それから、投薬担当の先生の診察を受けるように言われ、また待合室で待っていた。私は背中まであるロングヘアで美容師。髪の毛が抜けて、かつらを被って、人の髪をキレイにするなんて出来ない!この数週間ずっとそう思ってきた。抗がん剤は今は種類も多く、副作用の少ないものもあるとも聞いていたし、どうにか強い抗がん剤をしないで爆発を防げると思っていた。それなのに、同類の抗がん剤しかない、と。嫌だ!嫌だ!!嫌だ!!!そう思うと自然と涙がとめどなく溢れてきた。(これは出しているメーカーなどにより名前は違えど、①アンスラサイクリンと②タキソールの抗がん剤を使うのが標準治療となっているらしい。現在治験など別の抗がん剤治療をするには、まずは標準治療をして成果が出ない場合とされているようだ)http://jbcs.gr.jp/guidline/
投薬の先生はまた人と話すのが苦手そうなぽっちゃりとした愛想のない先生だった。抗がん剤のスケジュールは前の病院の説明と同じで、まずは3週間おきに4クールの後、毎週12クールのおよそ半年間。思ったよりすんなり来れたこの都内の病院だが、私にとってはカツラで東京まで通うのは到底無理な話だと、まったく出来る気がしなかった。このスケジュールをどうしてもやらなければならないなら、すぐに家の方に戻って、前の病院で点滴して貰おうか、今すぐ帰れば間に合う。今日何かしらしなければ、もう爆発してしまう!頭の中でいろんなことをぐるぐると考えていた。
遠慮気味に通う自信がないこと、他に方法がないならすぐに始めなければならないと思っている事を話し、もし抗がん剤治療だけ地元で受けて、手術をこちらで受けるというのはどうかと打診してみたが、『遠方の方などでそうした方はいるが、乳腺科医というのはもともと外科の医師なので、手術となって本来の仕事だと思っているから、患者を手放したくなくなって問題になることがある』『抗がん剤が順調に効いても、ここというタイミングが計りづらい』という2点でお勧めできないので、手術をここで望むなら化学療法もここで受けてくださいとの事だった。相当な時間悩んでいたと思う。そして最後に『もし通ってくるのが苦しくなったら、また相談してもいいですか?』と言うと『もちろん』と答えてくれ、『帰宅して心配なことがあったら夜中でもいつでも良いので電話してください』と言って名刺に携帯番号を書き添えてくれ、その日のうちに抗がん剤治療を開始することにした。