先生が神妙な面持ちで、慣れているであろう筈だが、どう説明しようかという感じで説明していた。私は地元から離れて独り暮らしだったので、特に家族と一緒にとか言われることもなく、独りで行っていた。『やはり乳がんでした』そんな感じの告知だったかと思う。予測していたし、むしろ(癌告知ってこんな感じなんだ!)と思いながら、特段驚いたり心乱れることはなかった。

 

乳がんに種類があることはそれまで知らなかった。

●エストロゲンレセプター(女性ホルモン)

●プロゲステロンレセプター(女性ホルモン)

●HER2レセプター

これらがあるかないかによってタイプがあり、投薬による治療方針が変わる。

 

私の場合すべて陰性、専門的にはトリプルネガティブという種類だと言われた。結果は他に

●核グレード(癌の顔つきと増殖能を反映した数値、1から3まで) 3

●Ki-67(核グレードと共に増殖能を反映した数値) 70-80%

私から出来た細胞だけあって性格悪く勢いもあるらしい。

 

『このタイプの場合は抗がん剤しか効きません。まず抗がん剤で癌を小さくしてから部分切除を目指して治療しましょう。(独身だし)仕事は年齢も考えると続けた方が良いでしょう』淡々とそう説明され、なんとか振り絞って言えたのは『何もしなかったらどのくらい生きられますか?』と、すると先生は『2~3年でしょう。でも肺に転移したら息苦しいし、骨に転移したら痛くて寝てもいられない』と酷い言い方をされてそれ以上何も言えなかった。『投薬担当の看護士が迎えに来るから説明を聞いてください』と。(ちょっと待って、私治療しますとも何とも言ってませんけど?)と思いつつ、話しづらい雰囲気で何も言えず看護士を待ち、促されるままに着いて行った。

 

緩和ケアのある階の個室で女性看護士の話が始まった。『抗がん剤は主に2種類、半年間ほどです』『投与してから約2週間後には脱毛が始まりますのでウィッグなどの準備をすぐにする必要があります』『肌のお手入れは少し大目くらいにしておいた方が回復が早いです』『免疫力が下がるので食中毒や病原菌にかかりやすくなるので注意が必要です』といった話を一気にされたのを黙って聞いていた。説明されてきた内容の冊子やウィッグのカタログやケアの紹介のサンプルなどをたくさん渡され、一通り話が終わった所で、自分の考えを伝えなければと思い切って口を開いた。『私は独り者だし、こんな事をしてまで生きていたいと思っていないんです』そうすると一気に涙があふれてきた。私が泣けてきたのはいつも親に対して申し訳ないと思う気持ちからだ。

 

この方は静かに聞いてくれて『治療は勿論強要することは出来ないですし、実際にそういう決断をされた患者さんもいらっしゃいます』『先生には先に私からお話しますので、先生の診察に戻りましょう。初めて会った私に正直にお話ししてくれてありがとうございます』と言って受け入れてくれた。涙がとめどなくあふれてきていたのが収まるまで待ってもらい、また一緒に診察室まで戻り、先生と面談となった。しかし先生は『命が掛かっているんだからね。ゆっくり考えてまた話し合いましょう』とちょっと怒ったような様子で吐き捨てて次の予約日を決めて帰る事になった。

 

それから10日ほど後だったかに予約だった。その間にも気持ちが揺らぐこともなく、先生と話したくないと思いながらその日が来てしまった。診察室で待てども待てども順番が来ず、近くの席で友達と一緒に来ていた韓国人のおばさんが大きな声で話し続けているのも不快だった。1時間半ほど診察室でおとなしく待っていたが辛抱できなくなり『具合が悪いのでもう帰ります』と病院なのに不調という理由で帰らせてもらうことにした。受付から初日に話した同郷の看護士が飛んできて『次にはお呼びできますよ。この後お仕事?』と引きとめられたが振り払って帰宅した。もう二度とあそこには行きたくない、としか思えなかった。