振り返りブログです。



今回は、娘の栄養(母乳、離乳食)について書こうと思います。



娘は生後5ヶ月と2日で入院となったので、家で離乳食を進めてきていませんでした。


入院前に、生後5ヶ月になった日に、自宅で10倍がゆを1さじ食べさせました。




入院後、生検の前には色々な検査があり禁食になることも多く、離乳食を開始したのは生検手術を行った後からでした。



家でと同じように、同じ食材を1さじから徐々に増やして行く、と言うやり方はできません。


病院食の献立は決まっています。

まずは、10倍がゆのみ徐々に増やしていきました。その次は野菜。

献立を見ながら、初めての食材のものを1さじ食べさせて、次にその食材が出た時は少し増やして、と言うふうに進めていきました。

そして、たんぱく質、と同じように進めていきました。




母乳の方は、前に母乳量不足という題名でブログを書きましたが、



生検後、3日ほどICUに入って母乳を飲ませるのが激減したら、母乳の出が悪くなりました。

搾乳の頻度が足りなかったと反省しました。



そこに追い打ちをかけるように、



硬膜下水腫による急変で、

心配な日々を送るうちに、母乳量不足

はより深刻化していきました。



娘が、ミルクを飲めれば、

母乳量が減ったとしても、そこまで心配することはないのですが、



入院するまで完全母乳で育てていたため、娘はミルクを、というか哺乳瓶を拒否して飲んでくれませんでした。



硬膜下水腫を発症した頃は、

足りない分を点滴で補っていました。



1日のトータル母乳量は、500〜600mlまで減っていました。




硬膜下水腫の経過を見ながらだったので、

離乳食の方も思うように進まずに、1日1回の食事を何とか食べてもらおうと必死でした。



ミルク🍼を何としても飲んでもらおうと、1日に何度か哺乳瓶であげることを頑張ったのですが、その都度、ギャン泣きして拒否し、1時間粘っても10〜30mlしか飲めませんでした。



硬膜下水腫で脳圧が高いであろうこの時期に、嫌がる娘に哺乳瓶をくわえさせるのが苦痛で苦痛で、

大泣きする娘を見て、私も涙が堪えられなくなるくらい辛くて仕方なかったです。



そして、このことが余計にストレスとなり、私の母乳分泌量をさらに低下させていました。



この頃の娘の体重は、点滴のおかげもあってか、術後、体重が減ってからは横ばい状態でした。



母乳を500mlは飲めていて、点滴をしてもらっているのだから、無理して哺乳瓶でミルクをあげることが本当に必要なのか、と考え、ミルクをあげることをやめました。



そうしたら、気持ちがスッと楽に、軽くなったのをおぼえています。




シャント造設の手術を受けた後から、離乳食を2回食にアップしました。

生後6ヶ月でしたが、毎日順調に離乳食を進められていたわけではありません。


毎回完食できているわけではありませんでした。

ですが、口から栄養摂取をするために、母乳➕2回食で摂取カロリーを増やすのが娘ににとって最善の方法だろうと主治医の先生と相談して決めました。



私は母乳量が増えるように、たんぽぽ茶を毎日たくさん飲みました。



たんぽぽ茶のおかげもあり、さらに娘の病状が回復したことで、少しずつ母乳量が増え始めましたが、それでも全体量としては足りていませんでした。


2回食にしても、完食できる方が少なく、10倍がゆが良くて8割、おかずはあまり進まず、食べられて5割ほどの量でした。


治療の翌日から2日間は、嘔気や疲れもあるのか、1〜2割ほどしか食べられていませんでした。



このような感じで進めていましたが、

娘の体重は、横ばいか、ほんの少し減少していました。



入院時、成長曲線の真ん中から少し上だった娘の体重は、このころ成長曲線の下の方になっていました。

入院してから体重は増えずに、わずかに減ってきてしまっていました。



そのころの体重グラフです📈↓






入院中は体重は横ばい、


そしてさらにはこの後、一時退院⇨治療時1〜2泊入院⇨一時退院⇨外来治療となって行くのですが、


そのころにはじわじわと体重が減少しています。

(生後7〜8ヶ月頃)



母乳と2回食で、これ以上体重が減らないように頑張る毎日でした。





つづく