振り返り記事です。



5/1(月)

いよいよ、治療が開始となります。

生検後、外科病棟にいましたが、主治医が脳外科から血液腫瘍科の医師へ交代となり、それに伴い、化学療法を行っている病棟へと転棟になりました。



今までは、色々な疾患の手術前後の患者さんがいましたが、次の病棟は小児がんを患い治療をしている子供たちが入院している病棟です。




大きなこども病院で、色々な場所から治療にやってきているのもあると思いますが、こんなにも小児がんと闘う子供たちがいるのかと思い知らされました。

自分の子供が病気にならなければ、知ることのなかった、考えることのなかった事実に、ただただ胸が苦しくなりました。




午前10時頃に新しい病棟へ移動となりました。

そして、お昼頃には化学療法が始まりました。




まず、吐き気止めの注射を入れました。

そして、その後オンコビンを注射で入れた後、



カルボプラチンを点滴で1時間かけて落とします。

カルボプラチンは、アレルギーが起こることがあり、投与開始から数分ごとに看護師さんが血圧を測ったり、状況を確認してくれました。



アレルギーが起こることもなく、無事、1時間の点滴が終わりました。



その後、点滴のルート内に残った薬を流すために、水分の点滴を少しして、その日の治療を終えました。



その日、娘は、薬の疲労感からか、とてもよく寝ていました。

薬が入れ終わってしばらくして、抱っこですやすやし始めた娘。

いつもは、抱っこで寝て、ベッドに置こうとしてもすぐに目を覚まし、起きてしまうことが多かったのですが、ベッドに寝かせても起きることなく、そのまますやすや寝続けました。



ああ、やっぱり、抗がん剤のお薬が身体に入ることは、相当辛いものなのだな、と思いました。

たくさん寝て、体力を回復しているのだ。




‥‥と、何の疑いもなく思っていました。




そして翌日、おそらく私が今まで生きてきた中で

一番辛い1日となる出来事が起こります。





5/2(火)

夜も、いつも以上によく寝ていた娘。

夜中に1回起きましたが、その後もぐっすりでした。

朝5時半に授乳をしましたが、飲み終わりと同時にまたそのまま寝入りました。ベッドにも楽に下ろすことができました。



朝7時に、自分の食事のためにその場を離れました。

病室内では親の食事は禁止されており、別の階の飲食スペースで毎回食事をしていました。



食事を終えて戻ると、娘はちょうど起きたようで、ぐずっていました。



「おはよー起きたの」

と声をかけながら、泣いている娘を抱き上げました。


その瞬間。



突然大量に嘔吐しました。



え!なに?なに?なに?


まさに、噴水のような嘔吐に、軽くパニックになり、すぐにナースコールを押しました。



娘はもちろん、私の服も、床もびしょびしょでした。

看護師さんがやってきて、慣れた手つきで片付けを手伝ってくれました。



化学療法から1日目。きっと、副作用で嘔吐してしまう子たちが多いのでしょう。



娘は泣き止んでいました。

しばらく抱っこであやしていました。



心の中はまだ、先ほどの嘔吐のことで落ち着きません。




娘の化学療法は、低悪性度グリオーマに対する化学療法で、抗がん剤の濃度は少なめで、週1回の治療を長期間行うというもの。



大量化学療法のように、ガツンと抗がん剤を入れるのと比べたら、嘔気や嘔吐は少なめで、特に娘のような低月齢の乳児はそういた症状が出ることが少なく、母乳量が減ることもほとんどないと説明をうけていました。




これは、本当に、

抗がん剤の副作用なの?


その思いが自分の中で大きくなって、言いようもない不安が襲ってきました。





つづく