ミチオ@michiotarot9日目、雪山の山頂に隠者がいた。左手に杖、右手に六芒星の入ったカンテラを持ち、登ってくる者を導いているように見えたし、何かを探しているようにも見えた。導く事と探す事、言いかえると、教える事と学ぶ事、これらはある意味同じなの… https://t.co/YawDUBSsoZ
2019年07月09日 20:17
これで、いーんじゃ!
ってことで。
冒頭からおもいっきりスベっときます。
隠者はレッドツェッペリンの4枚目のアルバムに使われていて、Tシャツなんかにもなってます。
こんなの。
ちなみに4枚目にはブログタイトルの元ネタ天国への階段が入ってます。
どーでもいーですね。
どーでもいーんじゃ!
シーン。
で本題ですが、隠者って導いているようにも探しているようにも見えますが、これって実は、導きながらも、まだ探しているんだと思ってます。
隠者はただの人間ですから、まだ完全には悟ってないんですねきっと。
完全に悟ってしまえば、もちろん探さないし、あえて導きもしないんだろうなと思います。
知る者は言わず、言う者は知らず。
ってことです。
きっと悟りとか真理ってあまりにも単純で、教られるもんでもないし導く必要もないものだと思いますよ。
この世界に愛を