皆さん、こんにちは!Elisaですニコニコ

 

5月のこと、実はこの内容をブログで下書きしておこうと準備をしていたのですが、うかつにも日付設定を忘れてそのまま投稿してしまう、という見事なドジっぷりを発揮しました滝汗

 

ブログを投稿したばかりだったKarin、そして読んで下さった方、大変申し訳ありませんでしたあせる

 

今日は少しテーマが重くなるので、その前にきれいな写真でも!

 

 

 

 

5月のいつだったか、太陽フレアの影響で中央ヨーロッパでもオーロラが見れた時があったんですよね。私もぜひこのチャンスをと思い、O君とウィーンが一望できるところまで行ったのですが・・・。残念ながら2日目だったからか見られませんでしたえーん

しかしながらこの夜景、結構きれいですよね!ちょっとロマンチックな景色を見られただけでもハッピーかもしれません。

 

 

 

さて、気を取り直して本題へ。

 

コロナが始まって以来、私(私たち)はこの世の中の奇妙な流れに対していろんなことを思うようになりました。もちろんパンデミックが始まる前からも、医療のこととか、政治的な影響を大きく受ける社会の変化に疑問に思うことが度々あったのですが、この3-4年の間にそれはますます強くなり、私たちも自分たちの考えていることを発信していった方がいいよね、ということを話すようになったのです。

 

特にワ〇〇ンに関しては、自分たちもワケのわからない差別をされた立場でしたので極力口にしないようにしてきたのですが、周りで多くの人が病気になったり、また亡くなってしまったり、という状況になってからはいてもたってもいられなくなってきました。

 

少し振り返ると(その当時のブログにも綴りましたが)、今から3年前、オーストリアでは3Gという変な差別化が始まり、ワ○○ンを打つか、コロナに罹患したか、PCR検査を行ったかという証明を見せなくてはいけないという状況がありました。少し記憶があいまいになってきましたが、確か3Gになる前はワ○○ンを打ったか、罹ったかの二択で、自分の健康が国に管理されるのを嫌い接種をしなかった私たちは、外食・娯楽禁止、食料品以外の買い物も禁止という、いわば罰のようなものを課せられたのです。無視した行動をとればもちろん罰金です(現在返金が行われているようです)。特に姉のKarinはピラティストレーナーであったため、事実上職を失い、路頭に迷っていた時期でもあったと思います。ちょうどそのころ二人で始めたのがこの共同ブログだったわけですが、いずれにしても恐怖と怒りに狂った年でした。

 

そして約2年半前の2022年1月には、オーストリア全国民に対してワ○○ン義務が導入されたのです。しかもこれ、国民投票でもなければ流行っているコロナワ○○ンだけでなく、あらゆるワ○○ンの接種義務だったのです。私たちはひっくり返りました。

国は国民の健康を何だと思っているのか。私たちには人権がないのか。そう思いました。

 

もちろん信じて接種を希望する人はそれもその人の権利なので、ワ○○ンが良いか悪いかは別にしてそれはそれでいいと思います。ただ、嫌がる人に強制することが許されるのかと。1930年代に中央ヨーロッパで起きた悲惨な出来事を思い出さずにはいられませんでした。そこから私たちの戦いは始まったのです。

 

幸いオーストリアには同じ意見を持つ人も周りにいたので、とにかく情報を共有しながらデモに度々参加しました。

 

 

 

 

 

 

毎週のように反対のデモがあり、メディアでは大した参加者ではなかったといったような報道がありましたが、実際に行った私たちからしたらものすごい人でした。更にこれは人権を無視する義務だとして弁護士や医師たちが毎日Youtubeで呼びかけを行ったり、様々な署名を行ったり。最終的に市民の活発な署名運動が認められ、2022年6月、導入されて間もなくワ○○ン義務は撤廃されたのです。

 

一体私たちは何の劇を見せられていたのか。今でもよくわかりません。そして政府は今では何事もなかったかのように平然とこのことを語るのです。しかしながら平和ボケしている日本に住んでいた私からすれば、国民が立ち上がって一丸となり(もちろん全員じゃないですが)国の方針を変えた、というのは本当にすごいことだと思うのです。
 

 

 

 

 

そしてこれが現在のオーストリア。週末になると大きな商店街に掲示されるポスター。これ、一体なんだと思いますか?

これはワ○○ン接種後に亡くなった人たちのポスターです。これに関して「反ワ○○ン派のギャラリー」みたいなことを言う人がいるのですが、賛成、反対ではなく、これは事実です。その当時は、失業しないため、旅行するため、持病があるため等様々な理由で接種会場に足を運んだ人たちもいれば、私たちのように頑なに行かなかった人もいます。そしてお金を払って接種証明を出してもらった人も多くいます。これがいわゆる分断を生んだのですが、このポスターに写る事実は、どんな意見を持ち、どのような立場であったとしても受け止めなければならないと思います。

接種に対しては必ず犠牲者がいる、ということもしばしば言われていきました。でも、、、もし自分がその身内だったら何千分の一だからと言って受け止められるのでしょうか。

 

このことを考える時、私は日本の祖父が亡くなった時のことをよく思い出します。例え病院側のミスで命が失われたとしても、患者側が勝つことはほぼありません。これにより泣き寝入りする人の数も計り知れないと思います。これはこの数年の惨劇においても同じ。結局責任を取ってくれる人は誰もいないのです。サインした自分の責任になってしまうのです。

 

そんな世の中に不安、不満を持つ人の数、きっと増えているのではないでしょうか。これは世界中で同じことが言えると思います。ただ、今の日本は本当に危うい印象を受けます。こういうことを言うと、あちらの世界の人ですか(これだけ色々とあからさまになってくるとさすがに都市伝説と言えなくなってくる)なんて言われちゃうかもしれないんですけれど、日本ではレ〇〇〇〇〇○○ンというものが接種準備段階だと・・・。世界初とかなんとか言ってますけれど、これ、かなりのモノらしいのです。私は専門家ではないのであくまで客観的にしか発言できないですが、これを始めたら日本は本当に危機的状況になる気がして仕方ないのです。日本国民が立ち上がる時が来るのか。そうなってほしいと心から願います。

 

情報が多すぎる世の中で、何を信じていいのか分からなくなることもありますが、その都度自分の判断を信じ、そして自分の責任の下で冷静に決断をしていくことが大切なのではないかと思います。ドイツ語ではskeptischという表現がありますが、常に懐疑的な目をどこかに持ちながら一歩下がってみる。そうすると自分にとって何が重要なのか見えてくるかもしれません。

 

そして自分の思いを人に伝えることは、とても勇気のあることだとここ最近、特に強く感じています。なぜなら発言の自由が失われつつある世の中だからです。人を傷つけたり押し付けることは良くないと思いますが、相手の言うことも尊重した上で自分の思ったことを発信する自由は決して失われてはいけません。それが人を助ける可能性のある事ならば尚更・・・。

 

一人間としての思いですが、最後まで読んでいただきありがとうございましたニコニコ

それではまた次回!