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- 東日本大震災からみちのく巡礼へ2
雲間から太陽が顔を出した
一筋の光が広がって
被災地鮎川に優しく光を注いだ
太陽はどこにも……
こんなに凄惨に広がるがれきが原にまで
光を当ててくれた
分け隔てなく、平等に優しい光をを与えてくれる
ありがとう! ほんとうにありがとうございます。
死んだようながれきが原から暖かさが漂ってくるようだった
希望の光に思えた
これからどれだけここ鮎川にいるかわからないが
何となく希望が湧いてきた
明日も照らしてください。
頑張ろうという勇気をいただいた
ありがとう! ほんとにありがとうございます
自然に手を合わせていた
あの”がれきが原”の中にいらっしゃるかもしれないご遺体に、
心からの祈りをささげた
合掌
食料と水と物の不足は想像通り厳しかった
我々18人に支給されたのは、食パン6枚、水1一人当たり紙コップ1センチほど
だった。
食パン、3人で1枚の割り当てだが、
我々13名は山登りに持参した食べ物の残りがあるので、
食べ盛りの若者3人に2枚、青森の夫婦に1枚食べてもらった。
残り3枚を13人で分けた。我々は一人4分の1枚弱だった。
筆者が、「これなら労せずしてダイエットできるな~」と言うと、
一同からドッと笑いが出た。
そう言えば、私が最年長だった。少しはユーモアで楽しませなくちゃ~。
我々の仲間が持っていた飴玉を、「作業後のおやつです」と言いながら、
若者たちとご夫婦に1個ずつ提供した。
避難所仲間なのだからな仲良くやらなくちゃ~
困ったときには相身互いの精神だ。
割り箸1本と紙コップ1個が各自に割り当てられた。
マイ箸、マイカップだ。 皆しっかりとマジックで記名した。
何日かはこれでお世話にならなければならない。
明かりは、太いローソク1本
机を寄せ集めたテーブルの中央に置くと結構ムードが出る。
この周りに18人が集まった。これもなかなかの雰囲気だ。
自己紹介し合い、それぞれの苦労話を語り合って親しさが増したように思う。
ものは考えようで、避難所生活がもたらした新しい人間関係だ。
とにかく水不足は大いに困った。
トイレも、すごく不便だった。
※後に多くの被災地を回ったが、一番苦労するのはトイレだった。
お盆を戻しに二階に降りていくと、避難室の様子がしっかりと、見ることができ
た。
これらについては、以後のの記事で! (続く)
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