植村旅館の5人の同宿者

 ①函館の60歳過ぎのℍ夫妻:3年前に娘さんを亡くして3回目の供養遍路。②宮崎県

 の83歳の女性Tさん:80歳から歩き遍路を始めて4巡目、農作業の合間に畑の周囲 

 を走って訓練する元気なおばあちゃん。③我々爺孫:東日本大震災犠牲者慰霊と伝

 承の遍路  計5名という中々多様なメンバー。夕食後話に花が咲きました。

 その後、ℍ夫妻とは16番と21番で、Tさんとは室戸海岸で2度再会。

  

 遍路4日目(3/29):7時出発

  爺孫は、心さわやか、自由な気分で植村旅館を出発しました。

 13番までのルート選択:旅館のすぐ前の県道20号と山の遍路道のどちらにするか孫  

 に選ばせました。昨日は散々山道で苦しんできたのだから、県道が良いと答えると 

 思ったのですが、遍路道を選んだので、頼もしさを感じました。

   植村旅館のすぐ裏の橋(写真の前方の橋)を渡り山道へ入りました。標高80m程 

  の峠を越す1.1k程の道です。

 

 ー植村旅館:地図は下左の12番から上の右13番への道です。

 

   山の心地よい遍路道を約20分程歩くと県道へ合流しました。

  県道を歩く前に小休止代わりに立ち止まって、8年前の遍路で爺がこの道を感動

  しながらしながら歩いた時の思いを綴った文章を孫に読ませようと思いました。

  「8年前、爺ちゃんはこれから歩く県道をすごく幸せ気なルンルン気分で歩いたん

  だ。その時のことを綴った文を読んで見るかい?」と言ってタブレットに保存し

  てある文を見せました。自由について考えさせる機会にしようと思ったのです。

  その文章を紹介します。

 

  自由に歩き そして思う

  歩いている時には、誰からも束縛されず、強制も受けず、まったく自由だ。

  時間からも解放された世界だ。

 

  遍路に来るまでは、無意識のうちに何かのとらわれがあったが、

  遍路ではそんなものはまったくなくなった。

  自由な発想で物が考えられる。 空想もどんどん広がって行く。

  歩きは物を見たり、考えたり、触れあったりする時の、環境を変えてくれる手段

  といえるかもしれない。

 

  歩いている時には、ゆっくりと時間も場所も変わる。

  いろいろな出会いや発想がある。

 

  

 

  立ち止まって、景色を見ながらぼんやりと物思いにふけるときもあれば、

 真剣に考えるときもある。

 何も考えずに、ただゆったり歩いているときもある。

 そうかと思えば、黙々とひたすら歩いているときもある。

 

 

 

 

  どうしようとまったく自由だ。

  色々なことを考えながら歩く旅もすてきだなあ…。

  歩くって、こんなにも楽しいものか。

  実にこのような旅だった。

 

  早寝・早起きして、俗世間のことをまったく忘れて歩き続け、

  すっかり健康を取り戻した。

  はだかの自分と出会うこともできた。

 

  遍路道の歩きは最高の心のぜいたくだったと思う。

  遍路をしながら、自分の人生を再吟味してみる。

  今の自分でない自分を見つめなおしてみる。

  そのためには、歩くことが最適だし、

  歩くためには四国の遍路道以上の場所はめったにないだろう。

  歩くということは、人間に何かを与えてくれる。

  逆に言えば、人間は歩くことによってなにかを生み出している。

  そういうことじゃはないだろうか。

 

   爺ちゃんはRが《自由をどのように考えるか》この遍路の中で訊いてみたい

  と思うんだ。

  これから何日もあるんだからよく考えるんだよ。

 

   爺ちゃんが心掛けている自由は、簡単に言うと

  「自由と責任はワンセットつまり自由は責任を伴うということだ。他人に迷惑

  を掛けない、思いやる自由が大切だと思っている。お前からどんな考えが出て來

  るか、楽しみにしたいな」と言って、歩き出しました。

 

  運転手さんとの心の交流

   歩き出すと直ぐにトラックが優しくクラクションを鳴らしてくれた。中には、

  手を振ってくれる優しい運転手さんもいる。こちらも優しい気持ちになる。川の

  畔に咲いている小さな花々をいとしく感じる。優しい目で眺めてあげたいと思う

  気持ちになる。そう思いながらみを進めてゆく。

  自分が優しい気持ちで歩いていると運転手さんたちとの間にも心が通うのだろう

  か?そんな時には大抵の運転手さんがにこやかな顔を向けてくれる。以心伝心な

  のだろうな~と思う。

  神山町に入るときれいな枝垂れ桜が目を楽しませてくれました。

  通常は殺風景な県道も心持次第で楽しい場にもなる。こんな歩きだった。

  孫も愉快そうな歩きだった。

 「幸せはあたえられるものじゃなくて自分で感じるものさ!」と語りかける。

 孫も納得の顔でした。