心細い身に強くしみた山道でのお接待

 

  杖杉庵で祈った後、山道を下り、2時30分ごろ麓にある田中商店に到着しまし

  た。ここから、宿の植村旅館まではまだ7キロ以上の山道です。

 

   このルートは12番焼山寺から13番大日時までの最短距離なのですが、8年前

  の記憶では、先ず鍋岩から左の山肌を横切り約1.3㎞ある玉ケ峠登り口へ向かい、

  登り口から峠へは標高差約150mの鬱蒼とした細道の急勾配の登ります。この道

  が曲者でした。2004年当時はあまり使われていなかったので、遍路表示は整備さ

  れておらず、不安な気持ちで上ったあまりよくない印象でした。しかし、玉ヶ峠

  から阿川の集落までは、「天空のへんろ道」と言われるほど景観ででした。鮎喰

  川を眼下に眺めながらが約5㎞標高差400mのなだらかな舗装道を下る歩きは快

  適でしたので、今回も挑戦してみました。
   現在の所在を知らせるために宿へ電話しようとしましたが、店の奥さんが、「い

  いよ、私が連絡してあげるから。孫さん疲れたよね。休みなよ!」と言って電話し

  てくれましたが、あいにく留守でした。

  宿へ着いてから聞くと、夕食の山菜を取りに行っていたそうです。

 

   気の毒がって「これでも飲んで元気つけなよ!」と言って、ヤクルトを二本お

  接待してくれました。なんて親切なんだろうと改めて感謝の気持が湧きました。

  

  地図を見ると、ここからは道が何本かあります。わかりづらいので、その近くの

  小さな店のおばあちゃんに道を確認しました。「どこまでも左へ行くんだよ…」

  と言って、みかんをお接待してくれました。その度に疲れも取れます。

  

   それらしき道を歩いているのですが、遍路マークも何もないのです。不安なの

  で農家へ入って再び聞きました。「植村さんならこの道でいいよ!」と言ってく

  れましたが、地図上のどの道をあるいているのかわかりません。山道に入ってか

  ら 三叉路にぶつかって、どちらへ行くか迷いましたが、少し開けた道を歩いて

  いくと800mほどで行き止まりになっっています。教えてくれた通りに行けば

  よいのに右に曲がったのが間違いでした。

  仕方なく元へ戻って、不安ながら反対方向の林の道へ入りました。

  道しるべはないが、道はこれしかないのでそこを行くしかないのです。

  次第に急坂の木立の細道になりました。人がやっと通れるくらいの道です。

  地図には3本の道が書いてあるので、そのうちのどの道を歩いているのかがわか

  りません。一本は焼山寺方面へ逆戻りする道があるのです。

  「宿へ行くのにこんな山道か?」といささか不安になっていました。

  

 

   山道なので誰とも出会わないので道も訊けないのです。結局、1時間半ほども不安な気持で急な道を上ると、地図に書いてある玉ヶ峠へ出ました。 

 

   ほっとしました。車が通れる林の山道です。そこで、左右どちらへ行くべきかちょ

  っと迷いましたが、地図から判断して右側へ行ってみることにしました。自分の

  感覚を信じるしかありません。

  ぽつぽつと人家も見えます。たぶん大丈夫だと思いながらも不安はあります。

  10分ほど歩くと、60歳過ぎくらいの女性が運転する車が、前方からやって来まし

  た。手を上げると停車して、ウインドウを開けてくれました。

 

  「植村旅館へ行くにはこの道でいいですか?」と尋ねると、

  「申し訳ないんですが、私も遠くから来ているのでわからないんです。自分も親

  戚の家に行くところなんだけれど、道がわからなくて困っているんです」と、す

  まなそうに答えました。ところが5分くらいすると、車でわざわざ戻ってきて、 

  私が食べたんでは、太りますからお遍路さん食べてください」と言って、お饅頭

  を二個お接待してくれました。この言葉はきっと私たちを気遣っての言葉だった

  のでしょう。お腹がすいていたので、歩きながらすぐに食べました。

  「爺ちゃんおいしいね」と孫も嬉しそうでした。そのうまさが忘れられません。

  孫はこうして優しさを覚えて行くのでしょう。孫には人にやさしい人になってほ

  しいし、優しい世界になってほしいです。

 

  鏡大師

  そこから数百m行った地点には番外霊場「鏡大師」がありました。

  謂れによりますと、 鏡大師とは神山の神々の通信拠点でしたが、弘法大師によ

  って名前を変えられたとのことです。弘法大師が休憩のために腰を下ろして、側    

  の石を撫でると鏡のごとく光出したことからその名がついたとのことです。

 

   鏡大師から10分くらい歩いたところに人家がありました。庭にいた女性に地図

  を見せて「植村旅館へ行くんですが、今どの辺を歩いているんでしょうか」と確認

  すると、「なんかちょっとわかりづらい地図ですね」と言いながらも、

  探し当てて指さしてくれました。お礼を言って歩き始めようとすると、「ちょっ

  とお待ちください」と言って家の中に入ると、缶コーヒーとお菓子を持って戻っ

  てきました。

   飲みながら立ち話が始まりました。「どちらからですか?」と訊くので、

  「仙台からです」と答えると、女性は「私も宮城県です」と驚いた表情で言いまし

  た。それには、私の方が却って驚きました。  

  〈本当に世間は狭いなあ!〉とほとほと感じさせられました。

 

   やはり、彼女が関心があったのは、爺ちゃんと孫が二人で遍路をしていること

  でした。徳島新聞のコピーを見せて、「東日本大震災でなくなった方々を慰霊し

  ながら、震災を伝えているのです」と説明しました。

  私も何故宮城の女性が、徳島県の山の道沿いに住んでいるのだろうと不思議でし

  た。 東京で働いている時に、徳島県出身のご主人と知り合い、ご主人が実家に

  Uターンして来たとのことだ。「お遍路さんはここをけっこう通るのですが、宮

  城県の人は2年ぶりです」と言って、とても懐かしがりました。20分ほど楽しく

  立ち 話をした後、あと3キロ弱の道を、宿を目指して元気よく歩き出しまし

  た。まもなく、植村旅館に到着しました。ここまで到着まで大変充実した1日でした。