焼山寺から杖杉庵への道
焼山寺から急な山道を下り1.8㌔先の杖杉庵に向かいます。
午前中に遍路ころがしを歩いて来たので足はかなり重いのですが、孫は自分の意
志での遍路のスタートだし、爺も孫に第1ハードルを越させたので、二人とも心は
軽々でした。距離は短いのですが決して楽な道ではありません。孫も真剣さが出て
来たので爺も気分が楽になりましたが、油断せず慎重に下りました。40分程で到着
です。
杖杉庵 石段脇には杉の大木が立っています。
弘法大師像にひざまづき謝罪する衛門三郎
杖杉庵の境内に入ってひときわ目立つのは、お堂のすぐ隣にある「弘法大師にひ
ざまづき謝罪する衛門三郎」の大きな銅像です。
死の間際にようやく弘法大師に会って懺悔することができた衛門三郎の悲痛な表
情と、手をとって優しく見つめるお大師さまの表情が対照的です。孫はこの様子を
感動深い様子で見つめていましたので、爺はこの像の前で、衛門三郎の物語を語り
ました。
爺が孫に語る衛門三郎の物語
先ず、弘法大師は平安時代初期の人だということはわかっているよね。
だから衛門三郎の物語は、平安時代初期のことなんだ。
話の主の衛門三郎は、伊予国(愛媛県)の名門・河野氏の一族に生まれて土地の権
力者だったんだよ。ところが、貧しい人々をしいたげて、使用人をまるで牛馬のよ
うにこき使うという傲慢で強欲な性格ので、領民からの人望はさっぱり無かったん
だな~。
ある時、衛門三郎の屋敷に鉄鉢(托鉢の鉢)を持ったみすぼらしい旅の僧侶が訪れ
たんだけど、けち臭い衛門三郎は使用人に命じて追い払ってしまった。
翌日もその翌日も同じ僧侶が現れ、8日目にはついに衛門三郎自ら僧侶に怒鳴り立
て、托鉢の鉢を鞭でたたき落したとのことだ。鉄鉢は地面に落ちて8つに割れたん
だ。さらに散々ののしって追い返したということだ。
その日以降、8人いた子供たちが病気や事故で次々に亡くなり、打ちひしがれる衛
門三郎は追い返した僧侶が弘法大師であったことを後になって知って、子供たちが
亡くなったことは自らの行いの報いであると思い知り、弘法大師に直接謝って懺悔
しようと思い、財産を処分して妻とも離縁し、四国巡礼の旅に出たということだ。
道路状況が整備された現代でさえ歩きでは最短でも40日はかかる四国遍路なんだ
から、ましてや今とは道路事情がまったく異なる平安時代なんだから、何倍もの日
数がかかっただろうし、野越え山越えの大変さは想像できないほどだったはずだ。
20回四国を巡っても弘法大師に会えなかっので、逆に周ることを思いついて、実
行したんだ。(これが後の「逆打ち」の原型なんだよ。)3回目の逆打ちのとき、現
在の12番札所焼山寺の近くでようやく弘法大師に再会することが出来たんだ。それ
がここ杖杉庵なんだよ。しかし、衛門三郎は重い病で死の寸前だったんだ。
涙ながらに懺悔すると弘法大師は衛門三郎を許し、『現世の悪行は消え失せた、
来世の望みは叶うであろう』と言いました。衛門三郎は『できることならもう一度
河野家に生まれて功徳を積みたく存じます』と望み、弘法大師が「衛門三郎再来」
と書いた石を左手に握らせると、ほほ笑みを浮かべて亡くなったといわれている
よ。最後は幸せに亡くなったんだね。その方が話を聞いた人もみんな救われるよな
~。お遍路さんや読んだ方々の心にぬくもりを与えると思うよ。 亡くなったの
は、天長8年(831年)10月20日のことと伝わっているんだ。
その翌年、河野家に生まれた男の子は生まれつき左手を握りしめたままで開かな
かったため、お寺で祈祷したところ手のひらから「衛門三郎再来」と書かれた石が
出てきたとのことだった。このお寺が51番札所「石手寺」なんだ。今回は、日数の
関係で行けないけど次に遍路するときには、ぜひ行ってみようよ。爺ちゃは石手寺
の博物館でその石を見たことあるよ。
弘法大師に会うために四国を巡礼したことから衛門三郎はお遍路の元祖と云わ
れ、逆打ちすることで「弘法大師に会いたい」という願いが叶ったことから逆打ち
は結願に3倍の功徳があるという由来にもなっているんだよ。
そしてまた、衛門三郎が亡くなった年はうるう年だったので、”うるう年に逆打ち
するとお大師さまに会える”といわれているんだよ。お終あ~い!
「確かに衛門三郎は悪い人だけど、子供を立て続けに8人死なせるなんて、お大師
様もちょっとやり過ぎじゃないかな~」と思ったけど、最期は微笑みを浮かべて
幸せそうに死んでいったと聞いて、僕も安心したよ。
杖杉庵縁起
境内に「杖杉庵縁起」の説明版が立っています。
杖杉庵は番外札所(番外霊場)で、正式な八十八か所の札所ではありませんが、
弘法大師所縁の地なのでお遍路をするならできるだけ巡ることをお勧めします。
焼山寺へ向かう途中、あるいは逆に焼山寺を打った後の遍路道沿いにあるので立ち
寄りやすいです。
歩き遍路の方や逆打ちをしている方は、「お遍路の元祖」「逆打ちの元祖」とい
われる衛門三郎に思いを馳せてお参りしてみてはいかがでしょうか。
衛門三郎の墓石
衛門三郎終焉の地である杖杉庵には衛門三郎のお墓があります。
衛門三郎の戒名は享保年間(1716年~1735年)に京都・仁和寺から贈られたもの
で、墓石には「光明院四行八蓮大居士」と刻まれています。
お墓の後には弘法大師が衛門三郎の墓標代わりに立てた杖から育ったという杉の巨
木があったそうですが、江戸時代中期に焼失してしまいました。現在の杉の木は二
代目といわれています。
衛門三郎の墓石の隣には「四国遍路元祖衛門三郎之碑」と書かれています。
仏像が3つ並んでいる場所のさらに奥にはベンチがあり、神山町の里山の風景が
一望できるので休憩にぴったりです。
四国霊場には杖杉庵以外にも衛門三郎ゆかりのお寺があり、爺はすべて祈った経
験があります。
・46番札所「浄瑠璃寺」は衛門三郎の出身地近くのお寺
浄瑠璃寺 打ち札
・別格霊場9番札所「文殊院」は衛門三郎の屋敷跡に建てられたお寺
・51番札所「石手寺」は衛門三郎再来の石が奉納されたお寺
石手寺参道 石手寺境内
シルクロードメモリー・心の目