長戸庵での女子大生遍路との出会い

   長戸庵は、弘法大師が「ひと息つくのにちょうどいい」と言ったことからその

  名が付けられたと言われています。

 

  9時20分、出発から約2時間で長戸庵に到着しました。中に入ると坊主頭の男性

  が休んでいました。この人とはその後も焼山寺などで何度か再会しました。大阪  

  の人で、会社から独立する精神力を見極めたいとのことです。

 

   3人で話している所に若い女性遍路2人がやって来ました。二人も同じ大阪から

  来た女子大生でした。我々を見て、「お孫さんですか?」と声をかけて来ました。

  「はい」と答えると、「珍しいですね。なぜお爺ちゃんとお孫さんで遍路なさってい

  るのですか?」と訊いて来ました。

  ――私は東日本大震災の時に3度命拾いしたので、生かされた命を震災関係のこと

  に役立てようと思い立ちました。

  岩手・宮城・福島の被災3県のお寺に「祈り・伝承・防災」を主旨とする祈りの場を

  創設する活動「みちのく巡礼」(みちのく巡礼ホームページを続けています。今

  回は小学4年生の孫の春休みを利用して、犠牲者の慰霊と被災地復興祈念の遍路に

  来たのです。併せて多くの人に震災を伝えようと思っているのです――。

  と話しました。

 

  「そうですか⁉ 私たちとは全然違うんですね~私たちは納経帳(御朱印帳)を「スタ

  ンプ帳」と言っていた、いい加減な遍路ですが、あなたのお話を聞いてはっとし   

  ました。お遍路は遊び半分の旅じゃない。誰かを弔う旅なんだと思いました

  と真顔で言いました。《爺孫遍路が彼女の胸に直ぐに響くものがあったんだな》

  と、改めて感じました。これまでの遍路でも、純粋な祈りの心のみでない色々な

  遍路の仕方を見てきましたので、まず巡礼という形から入って徐々に心が育って

  くることを期待していた面もありました。

  「いやいや。そんなことはないんですよ。昔の遍路は確かに、供養や修行の思い

  が強かったのですが、現代のお遍路は、色々な目的を持った遍路に変わって来て

  いるんです」「私は50年ほど前の20歳から歩き遍路をしいて、何千人という人と

  会っているだけど、やって来る人たちの目的やきっかけは、実に様々ですよ」

  ――精神修養や供養など本来目的だけの人もいるけれど、それよりもむしろ、別

  の目的も持って来ている人の方がはるかに多いですよ。心を癒しに来る人、人生

  に一区切りをつけに来る人、何か今まで見えない自分を発見したいと思って来る

  人もいるし、苦悩から抜け出したい人や本来の自分を取り戻したい人、こちらの

  お遍路さんのように自分を試しに来る人もいるし、体力チェックや健康増進が目

  的の人、歴史探訪や観光も兼ねて回っている人など、実に多様化しています。

   

   私と孫との今度の遍路だって、最大目的は東日本大震災で亡くなった人たちを 

  慰霊するためですけど、みちのく巡礼という活動を多くの人たちに知っていただ

  きたいし、孫の心身の訓練や社会勉強や歴史勉強なども兼ねてきているんです。

  性別も年齢も様々で、若者や子供も増えています。うちの孫よりも小さい子供も

  何度も見てますよ――。

   それが四国歩き遍路の人気が高く成っている理由だと思いますよ。と話すと、

  ほっとしたようで、時々質問も交えながら真剣に耳を傾けてくれました。

 

   そして安堵した表情で、彼女たちの遍路の動機について語りました。

  ――私たちは中学、高校と仏教系の私立学校だった影響で、お寺に親しみを持っ

  ていたんです。そんなわけで、お遍路にも関心があったのです。

   今回は2泊3日で、1番から12番までの札所にお参りすることになりました。

 

  遍路途中でSさんの様な遍路の先輩方とお話ししたり、道沿いで様々なお接待を

  受けたりしました。お土産を買ったお店でミカンをくださった方や、ついでだか

  らと言って、車で送ってくれた方もおられました。

 

   今朝から上って来た焼山寺への遍路道は「最難関の遍路ころがし」と呼ばれる

  だけあって、とても険しい山道でした。ジーンズにスニーカーなんて遍路を舐め

  たような格好で上った私たちは、急斜面で何度も滑りました。疲れもたまり、登

  るペースもどんどん落ちてきました。上りきれるか不安だったのですが、通りか

  かった中年の女性遍路さんが「木の枝を杖代わりにするといいわよ」とアドバイス

  してくれました。そうして、やっと長戸庵にたどり着いたんです――。

  「ついたとたん小さな男の子が目に入って来たのでびっくりしました。おまけに

  真面目に慰霊の遍路をしているなんてなおさら驚きました。私たちも見習わなく

  っちゃと思いました。そして焼山寺まで絶対上りきろう!と、勇気が湧きまし

  た。ありがとう!」と孫と握手しました。

  「R君 頑張ってね。私達も絶対上りきるから!」と言って4人で記念撮影をしま

      した。

  「そうそう!こういう体験も遍路の大きな経験ですよ。マナーさえ守れば、自由

  にやれるのが遍路の良いところですよ」と加えました。

  

   後日女子大生の一人のお母さんから、手紙に添えて「20歳のお遍路 出合の旅」

  と題する読売新聞の記事のコピーを送ってくれました。

  手紙の一部を抜粋して紹介します。――

  「……私も大学時代にバイクで四国を一周したとき、道々で果物やお弁当をいた

  だいたことが有ります。無人駅のベンチや浜辺でありがたく食べました。四国の

  人たちは、旅人に本当に温かいですよね。

   娘の話では、仙台市から来た男性・S様に、いろいろ話していただいたり、記

  念撮影もしてもらって、気持ちがほぐれたとのことでした。Sさまから、お遍路

  を始めた理由を「東日本大震災があったから…」と、お聞きして思わずはっとし

  たと話していました。「お遍路は遊び半分の旅じゃない。誰かを弔う旅なんだ」

  と改めて感じて、歩き切ったとのことです。色々なアドバイスありがとうござい  

  ました……。

  娘はS様とお会いした後、改めてお遍路に期するものを感じたようで、夏休みも

  行くとのことです。お遍路で新たな境地を見出し、人間としての成長を期待して

  おります。

  ……未来の命を救うことを目標にしたみちのく巡礼の活動の継続を期待し、発展

  をお祈り申し上げます。……

 

  シルクロードメモリー&心の目