長戸庵から雪道を焼山寺に向かってひたすら頑張る

 「爺ちゃん出発しよう!」と、孫から頼もしい声が発せられました。

 「昨日までの、泣いていたお前とはまるで別人だな。よし出発!」と爺ちゃんも気

  合を込めました。長戸庵を出るとすぐ下り坂です。

 「せっかく上ったのにすぐ下るの? なんかもったいないな」と、

  6回の上り下りがあるのを知りながらも、孫は独りごとを言っています。

  庵を出発して間もなくちらちらと小雪が舞って来ました。

  次第に本格的になってきます。

 

  風が出てきて顔に雪が吹きかかります。

  あたりは、次第に白くなってきました。

 

 

 「雪の焼山寺なんて、お前はすごい経験をしているな!」

 「雪なんか降らない方がいいよ。寒いもの」

 「お前は、温かいところで育っているからな~」 こんなことを話しながら、歩き

 ます。

 

  孫は手が冷たいと言います。

  見ると、手が真っ赤になってあかぎれが出来ていました。

 「手袋持って来たの?」と訊くと、「ううん」と首を横に振りました。

 すぐにリュックから私の軍手を出して、はめさせました。

 「山へ来るときには必ず軍手か手袋を持ってくるのが常識だよ」と教えると、

  懲りたらしく素直に「うん」とうなずきました。

  こうしてひとつつずつ覚えていくんだな~と、改めて実感する爺ちゃんでした。

 

 柳水庵はやっぱり閉まっていた

  アップダウンの激しい雪道を道を、滑らないように注意を払いながら進みます。

  スタートから3時間ほどで「柳水庵(りゅうすいあん)」が見えてきました。

 

 

      雪の遍路道              閉ったままの柳水庵

 

 「以前はここのおじいちゃんとおばあちゃんにいつも親切にしてもらったけど、

  年を取って宿は閉めてしまったんだ」と話すと「別な人が開いてくれたら良

  かったのにな~」と残念がりました。

 

  柳水庵の側に、水飲み場ありました。

 「弘法大師が柳の杖で岩を突いた所から水が湧き出したという伝説があるんだよ」

  二人で水を飲み、ペットボトルにも詰めました。

  水飲み場の側に「ふくろう注意」の看板がありました。

  「8年前の遍路で、爺ちゃんは被っていた菅笠を直撃されたんだ。笠がなかった

  ら、頭か首を襲われたと思うよ。私が襲撃された2日後に東京から来た若い女性

  が首をやられて重傷になったと、新聞報道されていたんだ。くれぐれも気をつけ

  ろよ!」と、注意しました。

 

   

   柳水庵は予想通り閉まっていました       柳水庵付近の休憩所

 

   柳水庵は、もちろん閉まっていましたが、近くに休憩小屋が出来ていましたの

  で、長い休憩を取りました。

   これからがむしろ大変なので30分ほど休んで、二人ともたくさん食べました。

  「大変だったけどよく頑張ったな」と褒めてやると、

  「歩くしかないから、これからも頑張るよ」と、殊勝なことを言いました。

  この子は、逃げ道があると楽な方へ走ろうとしますが、完全に退路を断たれると

  頑張ろうとする―― ということを、爺ちゃんは実感しました。

  これは、この子を育てる上での大きなポイントになるだろうと、確信しました。

 

   一本杉の弘法大師像

   柳水庵から上りが続きます。

  雪は途中で小降りに変わり、ほとんどやみましたが、吐く息が白く見えます。

  最後はこれでもかというようなジグザグのきつい坂を上って、

  遍路ころがしの最高点一本杉にたどり着きました。

  石段の上で弘法大師像が待っています。

  「爺ちゃんはここでお大師様にお目に掛かるのをいつも励みにして苦しい難所を

  克服してくるんだ」と、孫に語りかけました。

 

 

 

一本杉の石段の正面に立つ大師像

                               優しく迎えてくれる弘法大師       

 

  「やっと焼山寺お大師様に久しぶりに会えたなあ」と、感激気味に爺ちゃんが言

  うと、「遍路道のあちこちにお大師様の名前が書た札がたくさんぶら下がってい

  たよね。お遍路さんたちはみんなここで弘法大師に会うのを励みにして上って来

  るんだねきっと。僕もやっと会えたね」と、孫も嬉しそうでした。

 

 

   一方、孫の興味は、大師像もさることながら、不思議に複雑に枝が伸びている

   一本杉の方にも向いているようです。

  「これって一本なのかな~」と、不思議がっていました。

 

   ここで爺ちゃんは以前の体験を話しました。

  「実は、じいちゃんが 60歳の遍に来たときには、上から睨みつけられてい

  るような気がして、ハッとしたんだよ。その時には、疲れて、気持ちが中だるみ

  していたんだ。緩んだ気持ちを弘法大師が見抜いているんだな、と思ったよ。今

  日はそんな感じがしないよ。二人で懸命に上って来たからなあ」

 

  石段を上って、弘法大師像に二人で手を合わせてから、ゆっくりと眺めました。 

  「どうだ? 何か感じたか?」

  「優しそうに見えないか?」

  「そう言われればそうだね」

  「よく頑張ってここまで来たなと、歓迎してくれているように、思うんだ。そし

  て、ほっと安心するんだよ」。「本当、ほんと、そうだね。初めての僕でもそ思

  うんだから、弘法大師ファンのお遍路さんは、爺ちゃんの様に感激するんだね。

  きっと!」「やっとRもお遍路さんぽくなったな」

  「二人で旅の無事を祈ろうよ。ところで弘法大師を拝むときにはなんと唱えるん

  だっけな?」「南無大師遍照金剛でしょう!」「ピンポーン!」  

 

  雪の急坂を下り、けわしい坂を上って12番焼山寺へ

  雪で滑る急坂を注意しながら下りているうちに爺ちゃんは膝が痛みだしました。

  「ゆっくり下りるから先に行って…」と言うと、孫はどんどん下って行きます。

  残念ながら山道は孫に負けそうです。ここまで下ると雪はありません。

  孫において行かれるのは悔しくもあり、嬉しくもありで、複雑な気持ちです。

  標高差350m下って左右内(そうち)集落に到着です。

 

 

 
     先を歩く孫               左右内(そうち)集落  

 

 

  孫は、ちょっと心配そうに待っていました。

 「こんなに下って、なんだかすごく損したみたいだね」と言うので、

 「お遍路は人生と同じだって言われているんだよ。生きていると、良いときも悪い

 時もあるし、損をすることだってもちろんあるさ。それが逆に後から役に立つこと

 も結構あるんだよ。苦しいことがあるから、楽しいことが余計に楽しく感じるんだ

 よ」「こうやって苦しんでおくと、何か苦しいときにぶつかっても、なんだ、こん

 な事って思えるんだよ」と、話しました。

  目下苦しみに直面している孫としては、爺ちゃんの話に手放しで賛同できないよ

 うで、複雑な表情で聞いていました。それは、もちろんですよね~。

 「お爺ちゃん!」

  孫は、上手に話題を切り替えました。

 「お爺ちゃん、さっき膝が何になるって言ったの?」と、訊きました。

 「関節炎だよ」と言うと、「それになるとどうなるの?」と、聞くので少し説明し

 てやりました。

  左右内谷川にかかる橋を渡ると、再び急坂が始まりました。

 道端に「へんろころがし6/6」と書かれた札が立っています。

 

 「6つの坂のうちの6番目ということだよ。これが最後の坂だ。頑張ろう!」

 と声をかけると、

 「おじいちゃん膝大丈夫?」と言います。結構やさしい所があります。

 「下りは痛いけど、上りは大丈夫さ」と言うと、安心したようでした。

 

  孫 最難関突破!  自信を着ける

  これが最後の上りだとわかると、孫の足取りは早くなりました。

 足の方も少しずつ慣れてきたなと感じます。1時間足らずで参道へ出ました。

 11番藤井寺を出発して、休憩も入れて6時間ほどで到着したことになります。

 ほぼ標準的な時間です。子供の足としたら上出来です。

 

  おめでとう! 焼山寺到着

  孫の顔は、途端に赤みが差しました。すごくうれしかったのでしょう。

 大きな自信になったに違いありません。爺ちゃんも、孫と同じくらい喜びいっぱい

 でした。

  私は20歳の初遍路で、ここへ辿り着いたときには、言いようのない感動を覚えた

 ものでした。

  孫の場合、説得されて連れてこられた格好なので、よりいっそう思いが深いに違 

 いありません。

  すぐほめてあげよう。二人で喜びをかみしめながら参道を歩もう――。

 そう思った矢先、

 前方からやってくるバス遍路のお遍路さんたちから、一斉に声をかけられました。

 

 

  爺ちゃんとしてはここでクライマックスシーンを味わいたかったのです。

 すぐに褒めてあげられなかったのは、出番を失った役者の様で残念でした。

 しかし、孫にとっては、みんなから声をかけられて褒めてもらう方が、

 むしろ至福の時だったに違いありません。

 

  長い参道を歩いてゆくと、山門の前には長い石段が待っています。

 最後のしめくくりです。

 

 

  安心して気が抜けたところでの急階段は、遍路にとっても厳しい試練です。

 これがあってこそ、お参りのありがたさがいっそう増すのです。

  遍路後、孫にいろいろ訊いた時、

 「一番うれしかったこと」は? 「焼山寺に到着した時」 

 「一番つらかったこと」は?「焼山寺の遍路ころがし」と答えました。

 

  何れにしろ、焼山寺の山越えは孫にとっては強い印象を持ったことは確かです。

 このことが、大きな財産として将来に好結果をもたらすことを強く願っています。 

 

シルクロードメモリー・心の目