土佐湾の景観が見えるベンチでみちのく巡礼のこれからについて孫と話した後、

  鐘楼で仏様にご挨拶しました。二人で一度ずつ撞きながら、

  徐々に気持ちが高まって行くのを感じました。

  孫は以前、鐘の意味を教えて以来、心を込めて撞くようになりました。

  顔つきが真剣です。爺ちゃんもそれに引き込まれていく気がしました。

 

  本堂での入念の祈り

   右手奥にある本堂は、海上安全祈願の寺ということもあり、土佐湾に面して建

  っています。

 

   潮風を直接受けているせいか、柱の表面がところどころ剥がえれています。

  痛みの目立つ部分もあります。

  それだけに、扉をすべて開き切った本堂は、潮風を豪快に受け入れているように

  も思えました。開け放たれた本堂では、きらびやかな装具に囲まれた前仏の観音

  さまのお姿を常時拝むことが出来ます。前仏ですら秘仏になっていることの多い

  札所が多い中、禅師峰寺は「十一面観音様と直接に対面できる」ので、

  津波犠牲者の慰霊を大きな目的としている私たち二人には、大変ありがたく、

  最後のお祈りに相応しいお寺でした。

   ほのかな灯明に映し出された十一面観音様さまは、

  東日本大震災のご遺族や被災者の思いや願いをあまねく聞き取ろうとしているか

  のようなお姿に思えました。それだけに、その思いや願いを十一面観音様さまに

  お届けすることに役立てれば幸いと思いました。

  孫にもそのことを話しました。十分理解できたかどうかはわかりませんが、

  「最期の祈りなんだから、一生懸命に祈ろうな!」と、声を掛けました。

 

   これまでの祈りは、津波や地震でお亡くなりになった方々の御霊(みたま)に、無

  心で祈りを捧げていたように思います。

   しかし最期は、これまでと違った思いで祈ろうと決めていました。

   犠牲になった人たちは津波に巻き込まれた時、恐怖や苦しみ強く感じたはずで

  す。それをご本尊十一面観音様に聞いてほしいという気持ちを持っているに違い

  ありません。《その思いを祈りに込めよう》と思いました。

  最後の祈りは、「恭しく十一面観音さまを礼拝し奉る」と、合掌礼拝し、十一面

  観音の真言「おん まか きゃろにきゃ そわか」を三返唱えて犠牲者の気持ちを聞

  いてあげてくださいとお願いし、般若心経を出来る限り平静な気持ちで唱えた

  後、回向文で仏様にお願いして締め括りました。

 

  

   大師堂の祈り

   本堂の左隣にある大師堂は昭和59年(1984)秋に再建されました。爺は1995年の

  阪神淡路大震災後の5度目の遍路の時以来このお堂でお祈りしています。

  手前には香炉堂があります。

   いよいよ爺孫遍路鎮魂最後の祈りです。

  大師御宝号「南無大師遍照金剛」を3度唱え、引き続き、

  大日如来真言「おん あびらうんけん ばざらだとばん」を唱えて、

  弘法大師と大日如来にお願いしました。

  いよいよ最後の祈りかと思う感情の高まりが次第に強くなりましたが、

  出来るだけ心を落ち着けて、最期には回向文「願くはこの功徳を以って普く一切

  に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」を唱えて締め括りさせて頂ました。

    

 

大師堂と香炉堂

 

 

          大師堂入口                  大師像

 

 

   お祈りの後、結願を果した時の達成感にも似たようなさわやかな心境で、

  納経所に向かいました。

  孫は一層充実感が強かったに違いありません。

  《10歳にしてはよく頑張ったなあ》という思いが、爺の正直な気持ちです。

 

   納経所に向かう途中、「お前が成人した時か、私が80歳になった時に

   また続きの遍路をしてみたいな」と、提案しました。

   しかしこの提案は、残念ながら爺の再三の大病の後遺症で歩きが不自由なった

   ためため、果されていません。