爺孫慰霊遍路もついに32番禅師峰寺で最後の祈りとなります。最後をきっちりと締め括るため、31番竹林寺の入口まで戻り、そこから歩いて32番へ向かいました。Yさんとは32番を打ち終えた後に寺の駐車場で合流することにしました。

 

  あえて厳しい山の遍路道を歩く

   禅師峰寺までは5.7㌔、五台山のからの下りの遍路道は石の坂道で足元が結構厳

  しいし、やや暗くて結構滑ります。我々を見て若い遍路が「ここ下れますか?」

  と訊いてきました。下ることは出来ますがかなり厳しいです、と答えると、その

  お遍路さんは慎重なのか?そそくさとと一般道へ回りました。孫は「若いのに…  

  僕らは、68歳と10歳なのにね」と孫は、ちょっと不服そうに爺ちゃんを見ま

  した。「長旅の遍路はケガしないことが大切要素なんだよ。あのお兄さんはそれ

  を考えているんだよ。きっと」と、青年遍路を弁護しました」しかし、爺ちゃん

  は口に出しませんでしたが、孫の気持ちに賛同でした。

   孫は、せっかくここまで13日間頑張って来たのだから、最後もびしっと決めて

  ほしいという、爺ちゃんの「厳しいジジ心」でした。2週間という短期間でも、

  これからの人生に生かしてほしいと思います。

 

  

 

   五台山を降りる途中、所々でこれから向かう禅師峰寺のある小高い峰山が見え

  ました。「もう少しだね。爺ちゃん!」という顔に、喜びとやる気が見えまし

  た。

 

五台山の途中から禅師峰寺方面を望む

   五台山を無事下り終えて下田川にぶつかりました。孫と爺ちゃんは安堵の表情

  で顔を見合わせ、今下って来た背後にそびえる五台山を振り返り眺めつつ、次の

  32番禅師峰寺目指します。下田川に沿って東へ歩きます。

 

   下田川の北岸の道は狭く、車が通ると危ないので、川を渡って南岸の旧遍路道

  を穏やかな田園風景を楽しみつつ南へ向います。川風がほほを撫で、快適です。

 

   県道247号に出て右折すると、近くに武市半平太旧宅があります。「坂本龍馬

  の同士で遠い親戚だった人だよ」と言うと、興味を示したので、立ち寄ることに

  しました。武市半平太は、別名瑞山・土佐勤王党の盟主で、土佐藩郷士です。

  Yさんとの約束の時間もあるので、10分ほどの短い見学でした。

 

 

     2004年の6回目の遍路の時には周囲は田園地帯でしたが、8年後の今回は、県道

  の沿道には住宅が増えていました。県道247号線を南に向かい、途中、石戸トン

  ネルを抜けると、景観が一変、目前に小高い峰山が見えてきました。

 「禅師峰寺はあの山の頂上にあるんだ」と指さしました。

   その向こうには、立ち並ぶ団地も見えます。この近辺は、高知市のベットタウ

  ンとして発展しています。

  

   禅師峰寺は土佐湾の海岸に近い標高82mほどの峰山の頂上にあるので、地元で

  は「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と呼ばれ、親しまれています。

  また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂 

  観音(ふなだま観音)」とも呼んでいます。漁師たちに限らず、藩政時代には参勤交代

  などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちは、みなこの寺に寄り、航海の無事を

  祈ったとのことです。

 

  歴史と由来
   禅師峰寺は、行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受け、船舶の安全を

  願って堂宇を建てたのが起源とされ、後に大同2年、弘法大師がこの寺を訪れた

  時、奇岩霊石が立ち並ぶ境内の姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる補陀落

  山さながらの霊域であると感得し、自ら十一面観世音菩薩像を彫って本尊とし

  「禅師峰寺」と名付け、また峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉

  山」と号したと云われています。以来、土佐初代藩主・山内一豊はじめ歴代藩主

  の庇護を受けて繁栄し、「船魂観音」は今も一般の漁民たちの篤い信仰を集めてい

  ます。

 

    禅師峰寺での祈り

 

   一旦住宅街に入りますが、300m程歩くと大きな石戸池にぶつかり、右へ曲が

  って池に沿って歩きました。右手に石戸神社が見える辺りで石戸橋を渡り、県道 

  14号に出て、信号を左に曲がって340m程歩き、峰寺トンネルの手前を右に曲が

  るとまもなく禅師峰寺入口の表示があるはずです。以前の記憶がありました。

 

      トンンルの手前を右に入ります

 

  

 

  坂を少し上ると、禅師峰寺参道上り口(駐車場)にたどり着きました。

 

  

  参道上り口の前には駐車場が出来、永大供養塔と、本尊の十一面観音の石像が建

  立されていました。今回の2012年の遍路で初めてお目に掛かりました。

 

 

   地元のお年寄りなどで、急な石段を上って本堂まで行くのが大変な人々は、

  ここで祈っている人もいるようです。

  私たちはご挨拶の心づもりで、先ず、ここでもお祈りさせていただきました。

 

 

   参道の急な石段の手前に建立てられた十一面観音の石像は、これから厳しい参

  道を上る遍路達に元気と勇気を与えてくれるようでした。

 

  参道の石段は、まるで波に削り取られたようににゴツゴツとしていて、まさに修

  行の道場を彷彿とさせます。

 

 

 

 

  石段の手すりや展望台に防災避難活用を想う

  今回の爺孫遍路で気づいたことが有ります。

  以前は、修行の意味もあって、石段にあまり手摺がついていませんでした。

 

   しかし東日本大震災後、南海トラフ巨大地震や首都直下型地震が着目され、四

  国でも俄かにその対策が考えられるようになりました。

   東日本大震災1年後の、この爺孫遍路では、石段の中央に手摺がついていると

  ころが増えた気がします。

   徳島県や高知県沿岸は、南海トラフ地震の際に、地震後短時間で津波が襲うこ

  とが予測されています。その意味からもこの手摺は有効に利用されるに違いあり

  ません。

  風光明媚な沿岸の観光地の展望台が津波避難塔としての活用を構想されている例

  も多くな りました。

 

  不動明王

   懸命に参道を上がると「屏風岩」と呼ばれる奇岩を背にして不動明王が出迎え

  るようにして立っています。右手に剣を抱えて立っている等身大の石像は平成10

  年1月に建てられたものです。一心に願えば、全てがかなう峰寺の「お不動さん」

  として、近年人気を集めているとのことです。

 

 

屏風岩を背にして立つ不動明王

 

  ここからもうひと頑張りで山門に着きます。孫もいっぱしのお遍路さんらしくな 

  り、平気な表情で上って来ました。