善楽寺の歴史・由来

   善楽寺は、大同年年間(806~810)にこの地を訪れた弘法大師により土佐神社の

  別当寺として建立されたと伝えられています。

 

   高知城へ約6㎞、JR高知駅まで約4㎞というこの辺り一帯は、往時「神辺郷」と

  呼ばれ、土佐では最も早く開かれた地の一つと言われています。

   縁起によりますと、大同年間(806~810)にこの地を訪れた弘法大師によって、

  土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として開創され、霊場と定めら

  れたと伝えられています。

 

   善楽寺に着いてベンチで休憩するとすぐに孫が、「爺ちゃんこの寺は新しい

  の?」と訊きました。「いいところに目を付けたなあ!」「なぜ、そう思った

  の?」「お寺の標柱や入り口近くの観音様も新しそうだし、あそこの建物だっ

  て古そうじゃないよ」と、本坊や本堂を指さしながら言いました。

   爺ちゃんは祈る前に、この疑問に丁寧に答えようと思いました。

  「この寺は弘法大師が開いた、平安時代のお寺なので結構古いんだ。江戸時代に

  は、土佐藩主山内家に庇護されて繁栄していたんだ」

  「それじゃなぜ建物が新しいの?」

  「ところが明治時代に廃仏毀釈で廃寺になっなったんだよ」「廃仏毀釈って聞い

  たことはあるけれど、よくわからないんだよな~」「廃仏毀釈を簡単に説明する

  のは難しいけど、神道(神様)を重んじたり、神社とお寺が合わさっているところ

  を切り離したりして仏教を排除したり、影響を弱めようとする運動なんだ。その

  ため、日本各地で仏堂・仏像・経文なんかが壊されたり破棄されたりしたんだ」

  「うん、少しわかったよ」

 

  ――そのため土佐神社と合わさっている善楽寺も廃寺になって、本尊の阿弥陀如

  来や寺宝は29番国分寺に預けられたんだ。その後、明治9年(1876)から安楽寺が  

  仮の措置(やり方)として、善楽寺の本尊を招いて第30番札所の代行業務を始めた

  そうだ。 昭和4年(1929年)に一宮周辺住民の方々の運動で、ようやく善楽寺

  も再興したんだけど、安楽寺がそのまま30番札所になっていたので、30番札所が

  2か所になっていたんだよ。その後、2ヶ寺で納経ができるという違和感を感じる

  期間が65年ほど続いたわけだな。じいちゃんが持っていた古いガイドブックには

  30番が2か所書いてあったよ。

   爺ちゃんは若いころには、念のため2ヶ所で納経したど、平成6年1月1日やっと

  一件落着したんだ。弘法大師が開創した善楽寺が第三十番札所、安楽寺は三十番  

  奥の院と決まったんだよ。それ以後は、善楽寺だけで祈ってるよ。

 

  休憩後、本堂と大師堂で東日本大震災で亡くなった人たちにお祈りしました。  

   善楽寺の本尊は金佛阿弥陀如来坐像で、他にも江戸時代末期の木造薬師如来や

  観音菩薩が安置されています。少し離れていますが、本堂の入口から御本尊を拝

  顔できました。

  

  善楽寺の見どころ ~境内の塔頭や仏様 

   境内には色々なお堂や仏様などがありますので、そちらでもお祈りしました。

  善楽寺は神仏分離で一時廃寺となっていましたが復興し、昭和から平成にかけて

  の「30番札所が2つある問題」も無事に乗り越え、現在はしっかりと四国霊場第

  30番札所として我々遍路を迎えてくれます。

 

   廃寺となっていた影響で境内にあるものは比較的新しいですが、

  廃仏毀釈を乗り越えた「厄除大師」や、首から上の病気に御利益がある「梅見地

  蔵」など、見どころがたくさんあります。

  1. 十一面観音:入口付近にあるこの巨大な観音さまは台座だけで3m、像は5mあり、合わせると高さ8m。観音さまらしいおだやかで優しげな表情は、善楽寺の本山である長谷寺の「長谷観音」をモデルにして作られたそうです。          2.天邪鬼が支える手水                           納経所の前にある手水舎も見どころで、手水鉢を支えるかわいい天邪鬼がいます。よく見ると向かって右側の天邪鬼が左の天邪鬼をちらっと見ているように見えます。反対側にも2体の天邪鬼がいます。3.近代的な本堂                               昭和4年(1929年)に一宮周辺住民の人々の運動によってようやく善楽寺がコンクリート造りで再興し、さらに昭和57年に改築されて堂の屋根が銅板葺きとなり近代的な本堂になりました。                               4.不動明王                                本堂前には不動明王も鎮座しています。                

   孫からやっぱり疑問が飛びました。「お爺ちゃん どこのお不動さまも怒った

  表情をしているんだけど怖い仏様なの?」「いやいやそうじゃないんだ。お不動 

  様は、弘法大師が日本にもたらした密教のご本尊・大日如来の化身と言われてい

  るんだ。大日如来のお使いとして人々の側にやって来て、煩悩を断ち切るように

  導いてくれる慈悲深い心は優しい仏様なんだよ。怒った表情をしているのは怒り

  を以って、煩悩を抱えた人たちを力ずくで救済するためなんだ。カッと目を見開

  いているのは、人々を常に見ていることを表現しているんだ。不動明王様は厳し

  いお父さんのような存在なんだ。右手に持った俱利伽羅剣(くりからけん)には、

  悪い心や、迷いを断ち切る意味があるんだ。左手の羂索(けんさく)と呼ばれる網

  は、悪を縛り上げ、煩悩を断ち切れない人を吊り上げて正しい方向へ導く意味が

  あるんだよ。優しいだろ!?

                               

  5.大師堂

   本堂左隣の大師堂は大正時代に建立されたもので、善楽寺にある建物ではいち

  ばん古いものです。 昭和9年(1934年)に改築されました。

 

   本尊の弘法大師像は墨で黒く塗ることで廃仏毀釈から逃れたため、

  この大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全など

  を祈願すると霊験あらたかと伝えられています。

  

  6.梅見地蔵

   本堂の向かいには「梅見地蔵」があります。この地蔵尊は文化13年(1818)に造

  られたものです。もともと大師堂の梅の木の下にあったこの地蔵尊は、梅の花を

  仰ぎ見るその姿tから、"梅見の地蔵さん" として人々に親しまれてきました。

  この地蔵尊は、首から上の病にご利益があると伝えられ、物忘れやうつ病、

  耳目や鼻の病気の平癒、また子供たちの「学業成就」「試験の合格」の願いを受

  け、名物地蔵になっています。

  

                       

  7.子安地蔵堂

  梅見地蔵の隣には子安地蔵堂があり、弘法大師作と伝わる子安地蔵が安置されて  

  います。安産や子宝の御利益があり、こちらのお地蔵さまも信仰されています。

  難産で苦しむ妊婦に弘法大師が祈祷し、無事に出産したという伝説があります。 

  8.かわいいお地蔵さんの絵馬                            

 

  9.烏枢沙摩明王

  善楽寺のトイレには烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が掲げられていました。

  烏枢沙摩明王は「五大明王」の一尊です。

  元々インドの神さまで、この世の一切の汚れを焼き尽くすという御神徳があり、 

  あらゆる不浄を炎で浄化することから、今では「トイレの神さま」としても信仰 

  されています。                     

   納経所には一般的な巡拝用品の他にもかわいらしい御朱印帳や仏像グッズなど

  も用意されていて、高知県唯一の女性住職ならではの感覚が多々見られました。

  高知新聞に住職の紹介記事が掲載されていましたので興味深く拝読しました。

  タイトルをクリックして、ご覧ください。        

  「自分らしさ」を大事に 善楽寺の住職・島田希保さん(39)―《県内先駆者 挑

  戦続く 4人の歩んだ道》3/8は国際女性デー

 

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