神峯寺で祈る
神峯寺の古い歴史(縁起)
孫は今朝早く26番金剛頂寺を出発し、途中遠回りして不動岩に立ち寄り、
吉良川ではたくさんの人たちから声を掛けられながら町の見物をし、
最後はまっ縦といわれる1キロの急坂を克服して山門に到着しました。
爺ちゃんは、Rも結構たくましくなったな~と実感しました。
山門の到着して孫が真っ先に口にしたのは「爺ちゃんこの門すごく古そうだ
ね!」でした。
大抵、《やっと着いたね》 とか 《疲れた》 とかの言葉がでると 思っていただ
けに意外でした。
爺ちゃんはその歴史的な質問めいた言葉に応えて、
「そんな歴史的な言葉が出て来るなんて嬉しいな」
「爺ちゃんは、若いころから四国遍路ことをよく勉強していたんだ。60歳の時に
『諸君お遍路はいいぞ!』を書く時まで読んでいた遍路の本や仏教の本の数を数
えてみたら当時で176冊だった。あれからもっと増えたから間違いなく200冊以上
読んでいると思うよ。今度のRとの遍路に来る前にお前から質問されたらすぐ答
えられるように復習して来たんだよ」
「お前は歴史好きなので、時代の名前や有名人は大体知ってるよね! もちろん行
基の名前も知ってるよな。この寺の歴史はとても古いんだよ」
「この寺は奈良時代より前の飛鳥時代の聖武天皇の御代に行基が十一面観音を
刻んで本尊としたのが始まりなんだ。そして809年に弘法大師が伽藍を建立した
んだ。行基は50くらいのお寺を開いたり、一般の人たちに仏教を広めたり、灌が
い工事もたくさんやったんだよ。東大寺の奈良の大仏建立の責任者も務めたお坊
さんなんだ。だから、すごい歴史なんだよ」
――神功皇后の時代(201~269年)に天照大神を祀る神社として創建されたとされ
ています。聖武天皇(724~749年)の命により、
行基が天平2年(730)に十一面観音像を彫り本尊としました。
その後、809年弘法大師が伽藍を建て「観音堂」と命名しました。
神峯寺の伽藍や仏様の配置
土佐の関所寺である「神峯寺」は、
神峯山の中腹、標高450mに位置する山門から境内が広がっています。
「さて、これからまだ石段を400m以上も上るんだから、水を飲んで元気づけて
行こう!鐘楼の後ろから湧き出る水は、石清水と呼ばれ霊験あらたかとされてい
るんだよ。――昔、危篤状態になっていた女性の夢に、弘法大師が現れて、鐘楼
の後から湧く水を飲ませてくれたおかげで、女性は一命を取り留めたそうだ。
その言い伝えから、この湧き水には、病気平穏の霊験があるとされているんだ。
水で一息着いて石段上り出発しました。
シルクロードメモリー・心の目
イスファファンの橋の下で、旅仲間と二人で川面を眺めていると、9:30頃、塾
帰りの高校生に話しかけられました。「水たばこを吸いませんか」と誘われて一
緒に吸いました。高校生は、医学志望とのこと。
そのあと、自宅へ誘われ、11:30分頃訪問しました。お父さんは石油関係の技師
をしているエリートでした。兄と二人兄弟でした。兄がシャッターを押してくれ
ました。帰国後、高校生としばらくメール交換していましたが、いつの間にか繋
がらなくなりました。
イランとトルコの国境付近刃物の街サンジャンでの夜。小学生が「英語のお相
手してくれませんか?」と話しかけてきました。とても流ちょうで上手な英語で
した。