みちのく巡礼の原点は生かされた感謝、阪神淡路大震災後の四国遍路とシルクロードで受けた親切と優しさへのご恩の心 

 みちのく巡礼の活動の

 動機「東日本大震災で生かされた命を役立てる」

   背景阪神淡路大震災後の四国歩き遍路

 底流は,  シルクロードの広大な旅。

    遍路とシルクロード旅で受けたおもてなしの心への感謝

 

   活動の精神には災害経験・旅で養われた精神と感受性・おもてなしの心への感謝が

 流れています。

 

 生かされた命を役立てる

   筆者(みちのく巡礼創始者)は定年退職後、第二の人生のライフワークとして、

  シルクロードを主とする海外の旅と四国歩き遍路を基に文筆活動を続けていまし

  た。しかし東日本大震災の被災体験が人生を一変させました。

  大震災で生かされた命を被災者や被災地の復興に役立てようと思い立ちました。

 

   

     崖崩れの中環多々大避難         二つの津波が激突して競り上る

 

 

       野の道を歩むお遍路さん       砂漠を進むラクダの隊列

 

   みちのく巡礼の精神は阪神淡路大震災後の遍路の実感

   みちのく巡礼誕生の背景は、阪神淡路大震災後の四国歩き遍路です。

  筆者は阪神淡路大震災3か月程後、犠牲者慰霊の四国歩き遍路に出向きました。

  その遍路では犠牲者の鎮魂を願う多くの遺族に出会いました。                

              

      阪神淡路大震災の遺族の方々が亡き人の慰霊遍路をしていました  

 

      

     心洗われる四万十川の清流     中央は3か月間に身内を3人亡くした女性遍路

  

  遺族5人を亡くした遍路と心に残る出会い

   ある遍路さんは奥さん、息子夫婦、孫2人の5人を震災で亡くし、5周目の供 

  養の遍路でした。左右手首にそれぞれ3連と2連の手首数珠を付けていました。

  数珠を家族と思って共に遍路していることが察しられて、胸にジンと来ました。

  「一人1周として、この5周目が心のけじめを付ける最後の遍路です。最初はも

  っぱら慰霊の気持だったのですが、今は私自身が癒されながら巡っています」  

  とぽつりぽつりと切なく話す様子に、思わず深い同情を誘われました。

 「5周目ですがまだ心の区切は付きません…あなたはどう思いますか?」

 と私に尋ねましたので、やや躊躇しながらも、

 「これまでの遍路でも、あなたと同じような境遇のお遍路さんのお話を何度かお聞

  きしました。供養は本人の心次第ですので、気のすむまで供養してあげては如何 

  でしょうか」と答えました。

  その遍路さんからはその後も連絡をいただきました。

  その後も時々供養の遍路をしているとのことでした。

  その人との出会いは、心に強く残っています。

  この遍路での多くの出会いを通して、

 震災犠牲者への慰霊巡礼は、亡き身内を供養すると共に祈る遺族自身の心を癒

 し、精神的立ち直りのエネルギーを生む場になっている」。さらには祈りながら

 震災の記憶や体験を心に刻み、自分と向き合い、その後の人生に生かしてゆく貴重

 な糧を生み出していると、実感しました。

  そしてこの考えが、「みちのく巡礼」の活動の基本的精神として背景」になって

 います。

       

    第2の人生のスタートに向けて6度目の遍路へ出発           足摺岬金剛福寺より朝日を拝す

    

              

     結願寺88番大窪寺への最後の難関

 

                  

 みちのく巡礼の活動の根底にはシルクロード旅で養われた精神

   みちのく巡礼の活動の根底には、延べ1年以上の広大なシルクロードの大地を 

  ひとり旅してで養われた精神も反映していると思います。

   筆者は子供の頃からシルクロードに強い憧れを持ち続け、強い実現意志を持っ 

  ていました。まさに「夢への挑戦」でした。筆者が若い頃は、中国から旧ソ連

  領、中近東、東欧諸国を経てイタリアのローマに到達することは不可能に近かい

  事でした。実現は厳しい状況でしたがあきらめず、根気強く調査や準備を進めま

  した。これによって、厳しい状況に挑む粘り強い精神力が養われたと考えていま

  す。退職後、待ちに待ったシルクロードを中心とした海外取材に精出しました。

  シルクロードの人々は明るく親切で、昔から旅人を大切にする良い伝統・「おも

 てなし」の心が続いています。四国遍路の「お接待」に似ています。

 

 

   筆者はシルクロードでも四国歩き遍路でもたくさんの親切をいただきました。

  毎日が感謝の連続でした。 震災後はこれら多くの親切への感謝の心を被災者の

  方々心の復興や被災地のために恩送りとしてお返しすることにしました。

  これに持ち前のチャレンジ精神を加え合わせて、みちのく巡礼の壮大で根気の要

  る活動に注ぎ、多くの方々のご協力をいただきながら祈りの場・札所を活動の場に

  して組織的に活動を続けています。

  四国歩き遍路とシルクロードの二つの旅では、それぞれたくさんの親切をいただ

  きました。

  これらの親切への感謝の心が、みちのく巡礼の活動に結びついています。 

   感謝の気持ちが被災者の方々へご恩送りとして向けられています。

  やはり、みちのく巡礼原点は「東日本大震災での命拾い」です。

   今回は、原点である東日本大震災当日から被災地での活動まで 

  を流れに沿って紹介します。

 

    みちのく巡礼の原点

  ~東日本大震災から被災地での活動まで

 ⑴   津波が収まった後、黄金山神社を頼って1泊2日お世話になる。3/11~3/12 

     

 黄金山神社の地震大被害 灯篭はことごとく倒壊      倒れた鳥居

  

 ⑵   幸運な救出で鮎川へ渡り5日間避難所生活3/12~3/16

    

          まるでガレキが原に変わり果てた鮎川の街

 

  ⑶   自衛隊のジープで石巻へ3/16

       

      救援センター石巻総合運動場          市内は水没

   

  ⑷   石巻市内在住の姉宅の流出を確認3/16

 

             日和山から見た石巻の惨状

 

  ⑸   石巻から東松島まで歩き、実家で1泊3/16~3/17        

  

    子供のころの遊び場の惨状に号泣         東松島の被害

  

     

       松島航空基地は依然として水で覆われていた

  

 ⑹   東松島から野蒜、東名経由で故郷の惨状に心痛めながら50キロ程歩いて帰宅

   3/17朝出発

 

  

      野蒜東名運河               東名 老人介護施設は水没のまま

 

  ⑺   我が家はほぼ全壊に近い大規模半壊。生きただけでも幸福と思い悲観せず。

    建築資材と人手不足で5月18日にやっと工事開始

    

 

⑻   自宅片付け復旧にに取り組みながら、帰宅一週間後から被災地に出向き活動開始

  

 

 ⑼   被災地の災状況把握:

   地元の声と寺院の被害と意向をお聞きすることから始める

   始めは若い人たちに混じりがれき片付けもしていたが、

   徐々に自分に適した傾聴ボランティアや事務的作業を依頼される。

     (続く)