ジェット機より人命優先した基地司令の方針に共感 &実家は大被害
思い出深い子供のころの遊び場のむごたらしい姿に涙しながら、
「大自然の前には人間は何と無力なのか!?」ということを、いやというほど味わ
いました。
それでも気を取り直して実家に向かって歩きだしました。
貞山運河とブルーインパルスで有名な航空自衛隊松島基地の間の浜須賀地区の住
宅地がありますが、そこにも漁船が流されてきており、家屋が大多分破壊されてい
ました。
実家は松島基地の側の道路を通って2キロほど先にあります。
松島航空基地前で改めて自衛隊員に感謝の念
基地の脇を歩きながらフェンス越しに基地内を眺めると、いまだに水が溜まって
いる様子が見えます。
基地のゲート前に差し掛かり、フェンス越しに基地内を見ると、いまだに水が溜
まっていました。
その中で隊員の方々が、作業をしている姿が見えました。
避難所生活をした鮎川で見た遺体捜索始め。
多くの場所で献身的な働きを見て来ました。
献身的に復興や遺体捜索に励む隊員さんたち
改めて隊員さんに対して感謝の念が沸き上がりました。
ありがとうございます。
ジェット機が津波に襲われる
~基地司令の人命最優先の判断に共感
震災当日、地上にあった航空機28機が津波に襲われ、全機水没して使用不能
になったとの報道を、鮎川の避難所で耳にしていました。
しかし幸いにも、基地の千数百人の全隊員は、基地司令の決断で無事であった
と聞いていました。その人命優先の計らいを思い出して気持の安らぎを覚えなが
ら基地内を眺めながら、不安を持ちつつも実家の被害が少ないことを期待しなが
ら歩きました。
震災当日、地上にあった航空機28機が津波に襲われ、全機水没して使用不
能になりました。
この件の報道は、鮎川の避難所で既に耳にしていました。
、
後の報道によれば、――
当日、松島基地には28機の航空機があった。
その内、故障中や整備中の航空機が10機あり、飛べる航空機は18機あった。
午後の天候が悪化したため、14時頃には当日の全訓練が中止になり、
地震が発生した時点では6機が既に格納庫納められ、
残りの12機は格納庫外に停められていた。
「16時10分には松島基地周辺に大津波が到達する」との警報を気象庁から入手
した。これを受け、14時56分頃、基地司令は全隊員に屋上への退避を指示
したという。結果的には、大津波は約1時間後の15時54分頃、基地に押し寄
せ、18機全機を押し流し、水没させた。しかし幸いにも、基地の千数百人の全
隊員は、基地司令の決断で無事だった。
後にこの判断を巡って、判断ミスか人命最優先として評価されるべきかで、
色々な意見が出ました。
私は人命最優先した基地司令の指示に共感しました。
基地のゲート側を通って2キロほど先の実家へ向かいます。
基地より内陸側の地域は、津波が基地の多くの建物にさえぎれれて威力が.弱ま
ったと、希望的推測はされるものの、だから実家は無事ではないか?とはとて
も思えませんでした。
それから1キロほど歩いて実家方面を見ると、案の定、けっこう被害がある
ようでした。
予想していたとは言え、なんとなく足取りが重くなりました。
(次回に続く)