⑴がれきで埋まった東名運河沿いに野蒜駅に向かう
鳴瀬川と松島湾を結ぶ東名運河沿いに野蒜駅に向かった。
東名運河は伊達政宗の名前を取り貞山運河とも呼ばれ、伊達藩の物資を仙台と石巻
間を船で運搬する重要な輸送路であった。
震災前の東名運河は静謐はだったが、震災ですっかり変わってしまった。
運河沿いの道路にはがれきが積もり、これを乗り越えながら進むしかない。
数メートルの深さがあった運河はがれきや泥でうずまりすっかり浅くなっている。
津波は防風林の松をなぎ倒し、家や車やがれきを運河に押し流したのだ。
震災前東名運河は静謐で漁船やボートが行きかっていた。
そんな危険な運河の中で、自衛隊員が腰まで水に浸かりながら、
ひたすら遺体の捜索を行っていた。
これまでの被災地でも、隊員たちの献身的な働きぶりに目頭が熱くなり、涙をた
めたことがあった。
⑶70人の命救った手作り避難所「佐藤山」
いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた
「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着 きま
した。避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げました。
避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性
陣はあずま屋で たき火をして夜を明かしました。
夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失し
た家屋やがれきで埋め尽くされていました。避難した人の一人Aさんは「『ここ
には大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見
の明があった」と感謝したとのことでした。。
一般社団法人みちのく巡礼 [ホームページ] http://michinoku-junrei. com/