避難場所野蒜小の惨状と体育館の悲劇

 野蒜駅の惨状と脱線電車の悲劇現場を目の当たりにして、

 すっかり気力が奪われ、気が付けばとぼとぼと惰性的な歩きだ。

 これから我が家までまだ30キロほどあると思うと気が重くなった。

 “だがこんなことで気落ちしてはいられない!”と、

 自分を奮い立たせた。

 

 脱線現場のすぐ近くには野蒜小学校がある。

 野蒜小は、海岸から約1・3キロ内陸に位置しているので、市指定の避難場所だった。

 だが東日本大震災時、高さ約3・5メートルの津波が襲い、

 体育館に避難した約340人の生徒と住民のうち13人が犠牲になった。

 この情報を鮎川避難所でラジオいて聴いていたので、

 「ぜひ被害状況をこの目で確かめ、後世に伝えなければならない!」と、

 気持ちを引き締めて向かった。

 

 小学校は予測した通り、校庭や体育館前にはがれきや車が山積していた。

 

 たまらなく悲しい現実だ。

 何名かの人が校舎から出てくるのが見えた。

 野蒜小は震災後避難所になって多くの住民が避難した。

 徐々に別な避難所へ移るとのことだった。

 私が立ち寄った17日には、体育館は遺体安置所になっていた。

 中へ入れないので体育館の近くで慰霊させていただいた。  合掌

 

   野蒜小学校の現在~防災体験型宿泊施設「KIBOTCHA」として活用

野蒜小学校は現在「KIBOTCHA」の名称で、「希望、防災、未来」をキャッチフレーズとして、

 東日本大震災により津波被害を受けた学校跡地を再利用した、 宿泊・飲食・入浴・遊び・学びなど多様で貴重な体験ができる防災体験型宿泊施設になりしました。 

 

子供たちはとても楽しそうでした。

昨年行きましたが、和も楽しく過ごすことができました。

コロナ収束後は、また利用したいと思います。

[みちのく巡礼ホームページ] http://michinoku-junrei. com/