惨な野蒜駅に絶句!!
野蒜駅の惨状は痛ましかった。
この駅は子供時代に海水浴に来た思い出深い駅だ。
震災前年の秋、我々のサークル「生涯現役塾」のリクレーションで訪れたときには、
きれいな姿だった野蒜駅の駅舎は、ドロやヘドロで汚れ、がれきで埋め尽くされていた。
右側のお土産屋で買ったビールは、乾いたのどにしみこんだっけ…
などなど…思いにふけりながら悲しい思いで見つめた。
プラットホームにはさらに衝撃を受けた。
私は地震があった夜、金華山の黄金山神社で次のような放送を聞いていた。
――国土交通省によると、仙台湾の沿岸を走るJR仙石線の列車(4両編成)が
宮城県東松島市の野蒜(のびる)~東名(とうな)駅間で脱線しているのを
宮城県警のヘリコプターが上空から確認した ...という――。
その現場は、野蒜駅から600メートルほど東名側に行ったところだった。
まさに現実にその姿を見せつけられた。
11人の乗客が事故の翌日に自衛隊のヘリコプターで救出された、
というラジオ放送を鮎川の避難所で聞いた。
せめてもの幸いだと、幾分でも気持が慰められた。
震災遺構として遺された野蒜駅
その後、野蒜駅には何度も訪れましたが、その都度少しずつ復興していました。
震災後間もない時期にアメリカ兵の人々も復興に携わっていたのが印象に残っています。
東日本大震災後は国内外の多くの人々に助けられました。
いまさらながら、そのご恩を忘れてはならないと、この記事を書きながら思いました。
震災の記憶と教訓を広く後世に伝えるため、プラットホームは震災遺構)、駅舎は震災復興伝承館となりました、
館内には、被災前後の写真パネルの展示や大型スクリーンがあり、震災当時の記録映像を視聴することができます。防災・減災の取り組みを学ぶ場として活用されています。
震災の記憶と教訓を広く後世に伝えるため、旧野蒜駅プラットホーム(震災遺構)、追悼の広場、震災復興伝承館を設置しました。
「東松島市震災復興伝承館」の館内には、被災前後の写真パネルの展示や大型スクリーンがあり、震災当時の記録映像を視聴することができます。防災・減災の取り組みを学ぶ場として、ぜひご活用ください。