津波記念碑より高い地点目指して必死に走る
 
南北両方向から押し寄せた二つの津波の激突によって超巨大化した津波が、
避難した50m以上もある高台に迫って来た。
 
 
黒い巨大な水がぐんぐんと迫って来る。
高台の高い崖をよじ登って来るようにして押し寄せてくる。
とにかく必死でより高い方へと駆け上がる。
後ろを振り返っている余裕なんか全くない。
 
我々が避難していた地点から50mほど離れた、10mほど標高の高い地点に
昭和8年3月3日の三陸沖地震の到達点を示す「地震津波記念碑」がある。
 
                       金華山 地震津波記念碑(翌日3.12撮影)
 
とにかくその碑以上高いところまで逃げようと必死で走った。
こんな時には普段ジョギングで鍛えているのが役立った。
 
碑を通り越してさらに坂道を30mほど上ってからどうなっているのかと気になった。
やっと後ろを振り返ってみた。
 
その地点から10数mほど手前で波が引き始めているのが見えた。
逃げ足が遅かったら追いつかれたかもしれない。
それを考えるとひやっとしたが、
〈あ~どうやら助かったのだな~〉という安心感が湧いた。
 
それよりも、恐怖から解放された虚脱感にも似た思いだった。
 
 
 
第2波が引いた後、、津波記念碑まで下りて行ってみると、碑はぬれていた。
 
碑のある場所以上高い所まで波が来たことがわかる。
 
 
再び高台の端の方まで行って、津波の様子をうかがっていた。
 
津波は次第に弱まっていったが、結局第4波まで来た。
 
その様子を眺めながら次第に思考がよみがえってくるのを感じるのだった。
 
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しかし未だ、.対岸の牡鹿半島やそのほかの地での被害までは頭が回らなかった。