ずっと体調崩していたり、
メンタルやられていたり、
そんな私、Michiです。
前回のブログで、駅で倒れたご報告をしましたが、
私は熱中症だと思っていたけど、
「パニック発作」でした。
今年の3月末、教育研究所を離れ今に至るわけだけど、
全然自分の体調が良くなっていなかったみたい。
トラウマになっていたり、
常に不安や焦りがあって、
嫌な記憶がフラッシュバックしたり、
ときには、気持ちが落ち着かなくて安定剤を多めに飲んでしまったり、
睡眠薬を飲んでも眠れず、こちらも量を多く飲んでしまったり…。
過食拒食もあるし、
お風呂に全く入れない、
洗顔さえもできない、歯磨きするのがやっと…、
右耳が聴こえなくなったり、声が出しにくくなったり…。
この状態がもう半年も続いていて。
病院へは通っているのだけど、
じゃあ、病院へ行ったからって植え付けられたストレスやトラウマが消えてなくなるのかと考えれば、
そんなものは中々難しいことだと思う。
過去を振り返っても無意味だし、
怒りが湧き上がるだけなんだけど、
ただ、仕事に関しては私は一生懸命やっていたつもりだから、
その自分が教育者にパワハラをされたり、
それらから現場を追い出されたことを考えると、
やはり怒りと、子どもたちへの想いが残るのです。
自分が思っている以上にストレスをずっと感じていて、
そういう気持ちが爆発してしまったのでしょう。
まさかパニック発作で駅で倒れるとか、今まで考えたこともなかったから。
倒れて以降外出が怖くなった。
あのカラフルな砂嵐に吸い込まれ薄れていく瞬間のなかで、
もし薄れずに意識が戻ってこなかったら、
もしかしたら私は死んでいたかもしれないわけでしょ?
そう考えると恐怖もあるけど、
もし、あのまま意識が戻らず死んでしまったとしたら、
もしかしたらそれはそれで幸福だったかもしれない。
なんか生きることに疲れてしまって。
傷ついたり、怒りや悲しみを感じることにうんざりだし、
常に不安や焦りが自分を包んでいるって苦痛でしかない。
人によっては、死ぬ選択を幸福と捉える方もいるはず。
スイスでは条件がもちろんあるけど安楽死が認められています。
日本でも認めるべきなのではないでしょうか。
生きることに限界を感じている人に、
選択肢を与えることだって必要なのではないでしょうか。
生きることに限界を感じている人に、
生きろ!と言うのは、それは残酷だと私は思う。