さて、なんとなく復帰し始めた私ですが、

3月末で一旦教育現場から離れた私が感じたことに触れたいと思います。



芸能界に身を置く私でもありますが、

過去にはアパレルでプレスをしたこともあったり、

何かをやるときって『キッカケ』と『好奇心』があります。



教育分野で動いてみたいと思ったときは、

2020年に緊急事態宣言がでたとき、

偶然にもある番組で学校現場の実態的な特集を観たことがキッカケでした。



そのとき、物凄くショックを受けたの。

子どもたちがこんな苦しい想いをしているなんて…と。



だから、イギリスで心理学の勉強もしたし、

セカンダリースクールでカウンセラーの助手も経験していたこともあったし、

何より教育に携わる人間とは真逆の人生を生きてきた私のようなタイプが一人くらい学校にいても面白いんじゃないかな?と思って。

それに個性や感性重視だから、子どもたちに刺激を与えることができるかもって。



そんな経緯があって教育の世界に乗り込んだ感じ。



子どもたちや保護者とは仲良くやれていたと思う。



問題なのは、学校に関わる者たちだね。

イカれてる連中が大半よ。

まともな先生なんて2,3人だと思ったし。





これ以上語ると先に進めないから3月末以降の私を書きまーす。



なんだろ、自分の人生を考えたりもしたなかで、

色々やってみたい!と思ったの。

色んなことに興味がある人間だからさ(笑)



たとえば、私は音楽を作る身だけど、

A&Rとかマネージャーにも興味を持ってたし、

出版社やYouTube事務所、

テレビ番組を作るとか、なんだかんだで色々やってみたい!

そう思った瞬間まずは行動よね〜と思い即実行!



マスコミやメディアの裏方(内部)にずっと興味があったのだろう。



30社くらいに転職アプリを使って応募してみたの。

全部落とされたわよ。



一次審査の書類選考でさえ通らないの。



不愉快ね〜。



そのとき思ったの。

どんな人間がエントリーシートを見ているのか、

たかがエントリーシートを見て応募者の何が分かるのか。



そして一番に感じたことは、

絶対に差別的な選考があるのだろうと。

年齢差別が絶対あるんだろうなって思った。



そんなの妄想じゃない?って思う方もいると思うけど、

もちろんスキル的なものもあるかもしれないが、

年齢差別が絶対あるなって思った。



私なりに調べたり聞いてみたところ、

採用人事が20代だったりもするわけですよ。

そうなると若手を育てたいと思う人間で構成されてる部分は大きくあると思うのね。

そう考えれば30代突入した私が必然的に落とされるのも当たり前なのかもって。



企業に対して思ったことは、

もうちょっとさ〜広い心を持った人間はいないわけ!?と。

『この人面白そう!』とか、

『この人クセ強そう!』

『どんな人なんだろう』、、

そういう好奇心や探究心が軸にある会社や人はないわけ!?と思ってしまった。



そりゃさ、スキルがあって言われたことをこなしてくれる人間が一番楽なんだろうけど、

それなら誰でもいいんじゃないとか思ったり。

結局は人間性なわけじゃない?

アンタのエゴよって言われたらそれまでだけど(笑)



ふとそう思ったとき、

日本の会社ってつまんね〜なぁ〜って思ったのよ。

だって一番に『人間性を見てない』んだから。



確かに綺麗事ではいかないとは思うけど、

そこを見てくれない会社なら魅力を1ミクロンとも感じないな〜私って思っちゃったわけよ。



あとは差別的なものも絶対あるだろうから、

そういうものがある会社なんて最低!とかボロクソ吐いてたわよ(笑)



根本的に日本を考えたとき、

やっぱり差別的な国よね。

イギリスにいたからこそより感じるんだろうけど。



海外だと人間性を大事にされるのよ。

まず年齢性別とか関係ないね。

というより、年齢性別を記入する欄がない。

スキルについてもそこまで書くこともないし。



確かに名前と住所と連絡先、

どんな人なのか写真さえあれば人間として必要事項は満たしているよね。



そう思ったとき、日本の異質さを感じてしまったの。

その時点で『こうあるべき』とか、

いやらしい期待が紙切れ1枚にさえ含まれているように思えたの。



もちろん差別的な要素も含まれている気がした。



人に期待し過ぎなのが日本なのかも。





華の金曜日といわれる金曜日の夕方、

会社帰りのサラリーマンやOLさんを見たの。



新しいスーツを着ている人を見て、

新卒の人なんだろうな〜とかなんとなく思ったり、

スマホ片手にしている人、

疲れている様子の人、、



色んな人が目についたとき、

本当にこの人たちは幸せなのかな?と思う私。

当たり前のように毎日をこなして、

金曜日の夕方を楽しみにして、

また月曜日がきたら同じような日常を過ごして。



どんなに有名な企業で仕事をしても、

私がこだわった枠をしぼって受けた30社も、

もしかしたら幻想なのかもしれない。



本当にそこで仕事ができたからといって幸せとは限らない。



私は30社受けて落とされたもんだから、

なんとなく社会から疎外された気分でいたの。

でも、これさえも幻想なのよ。

そのなかの一社で仕事ができたとしても、

本当に自分が幸せになるのか、求めていた世界の一員になれるのかと考えれば、

それは幻想でしかないのよ。



あとは、なんのために仕事をするのかってことも考えたの。

生きていく、生活のために仕事をするのか。

好きなことを極めるために、自分のために仕事をするのか。



金曜日の夕方、帰宅していく人たちを見て、

うまく社会に飼い慣らされてるんだなって思ったりもしてさ、

すごい残酷な風景にも見えたわけ。



『仕事がなんのために存在するのか』考え込んでしまった。



まさに幻想社会。



上手く言えないんだけど、

自分の素直な気持ちに従って生きたいなと。

これからも『こうあるべき』に反抗して生きていきたいなと。



だってその生き方の方が私らしいから。



上手く言葉で表現できていないかもしれないが、

それは申し訳ない!無気力ガーン



では今日はコンペ用の曲作りをしよう。