チタンが地景と金筋発現の原因という説があります。
故天田刀匠の本「鉄と日本刀」という本に、チタンの研究者 久我春 氏の見解の紹介があって、実に目から鱗が落ちるとはこのことかと、この説を読んだときに感動しました。
久我春さんは、地景や金筋は鋼のなかのチタンが凝縮した部分であると刮破しております。
久我氏曰く、地景のある鎌倉初期までの刀は鉄とチタンの合金である、チタンの凝集したところが地景となると述べておられます。
地景には炭化チタンが凝集して美しく輝くのだとも述べておられます。
平安、鎌倉期に青く輝く刀身がみられることが多いのは鉄とチタンの合金だからだと言っておられます。
これを読んで、今までの私の見解、すなわち炭素量の多い偏析の部分が地景になるのだという考え方におおきな変更を迫られたからです。
俵国一先生の「日本刀の科学的研究」の地景について記述された部分とは大きく見解が異なるからです。
炭素量の不均一が残るほど地景がはっきり出ることになりますので、炭素量の多い鋼と少なめの鋼を積層して鍛えれば炭素量の多い鋼の部分が地景として出てくるはずです。
これは新刀期以後は地景が高炭素量の部分として出てくるといわれていることに一致します。
これは永山光幹さんのようなトップの研師が言っていることです。
永山光幹師は、相州上工の地景は硬くないし、高炭素量の部分ではないようだと書いています。
この見解が、前から不思議なこともあるものだと私の頭にずっと残っていて、では何が地景としての原因になっているのかとずーっと疑問でした。
久我春氏の見解を考え直すと、実はチタンなんて鋼の不要な不純物だとずっと思っていたのでチタン地景説に見向きもしなかったのですが、実は日本刀の地景を考えるときの正鵠をとらえた意見なのではないかと去年から今年にかけて気がついたわけです。
正宗の名刀の本質は輝く地景と金筋にあると唱えてきた自分の目を開かせてくれたのが久我春氏のチタン合金説です。
正宗の刀は原料の鋼が2種類あるようです。
ひとつは同じ時期に日本中に出回っていた鉄鉱石系の白っぽい鋼です。これは粟田口の地の色です。
これに正宗は鎌倉沿岸の砂鉄から作った鋼を混ぜて使ったのではないか、というのが私の推理です。
鎌倉沿岸の砂鉄はチタンが多くて製鉄しにくいと思われますが、この原料からつくられた鋼の部分が地景を生じさせる原因になったのではないかというのが今の私の推測です。
2種類の鋼を組み合わせるのは困難ですが上手くいく方法を開発したはずです。
チタンを含む部分があるため刀の切れ味が増したのではないかとも思っています。
ただし、この推測は実際に鋼を作ってみて正宗の鋼の表情が再現されなければ無意味です。
ようやく、相州上工の鋼に迫る糸口がつかめたとおもって、実験に取りかかる準備をしているところです。