第十回「越州攻城戦」⑯ | 道草days

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まだまだ知らない”日本”に出掛けてみませんか?

 

それでは鳥越城を攻略していきましょう。

 

 

駐車場から歩いてまず見えてくるのが後三の丸を囲み、後二の丸をカバーする空堀。

 

特徴としてはあやめが池ですかねー空堀の途中に湧水が流れ込む池があるって結構珍しいような気が。(水堀にするまでの量はなかったのかな?)

 

 

こちらは後三の丸。

 

”後”が付いてるだけあって増築部分かな?と思います。方向的に白山街道方面の防御を厚くする目的だろうと思います。

 

 

これは後三の丸下の腰曲輪。高低差もあって傾斜も結構ありますね。

 

 

続いて後二の丸。

 

位置的に本丸の背後を守る曲輪。

 

 

 

金沢~霊峰・白山の山麓~勝山(福井)に至る白山街道が良く見えますね。監視する役割もあったんだろうと思います。

 

 

本丸と後二の丸の間の空堀。幅はないけど角度がエグい。

 

 

 

お次はこの城一番の見所と言っていい枡形遺構。

 

石垣や門が復元されてて非常に分かりやすいですねーグッ

 

 

 

技術的にはそんなに高くないながらも石垣があって枡形まで備える…これが戦国武将の城なら分かりますが、一向一揆衆の城ですからね。名だたる武将たちが一向一揆に苦戦した理由がこの城からも見えてきそうです。

 

 

櫓門くぐって本丸。

 

中は建物が詰まっていて井戸まで完備。

 

 

 

本丸の南側には中の丸門。

 

本丸の櫓門から更にグレードアップした造り。この感じだとこちらが大手口に繋がりそうですね。

 

 

最後は二の丸。

 

元々低いのか低くなってしまったのか分かりませんが三方を土塁で囲み、東と南西方向に隅櫓を置いた結構気合の入った曲輪。3つの出入口を広くカバーしてるのが特徴です。

 

 

 

ここまで見てきたように一揆勢が築いた城とは思えないぐらいの城を持つ山内衆に織田勢は苦戦。

 

一刻も早い鎮圧を目指す織田勢は和睦する名目で城主・鈴木出羽守を呼び出して謀殺しますが、それでもなお山内衆の勢いは衰えず徹底抗戦を続けます。

 

 

それから2年経った1582年(天正10年)。

 

織田方の執拗な攻撃によって一揆衆はついに力尽き、残党約300人が手取川の河原で磔にされ、戦いはようやく終結しました。

 

 

リーダーを失っても城を失っても戦い続ける…か。その戦いの先に―――

 

          (極楽浄土なんて、あったのかな。)