さてさて、、、
皆さんは何に悩んでいらっしゃいますか?
どのような想いを胸の内に抱えていらっしゃいますか?
休息はちゃんととってますか?
+++++++++
私の一番の想いは、「私のことを認めて欲しい」でした。
認めて欲しいがために、色々なことを頑張ってました。
一緒懸命、助けを求めることなく、自分の力で頑張ってました。
その頑張りの本質が、「認めて欲しい」にあることもわからず。。
何かある度に、見て見ぬふりをしたり、誤魔化したり、納得できないことも、我慢してみたり、とりあえずあやまってみたり・・・とやり過ごしてきました。
否定されないように。
少しでも認めてもらえるように。。
そうすることがどうやら知恵だったようです。
でも、そんな知恵を授かって、いつもはやり過ごしていても、心の内では、やはり納得していません。ちゃんと分かってほしいのです。ちゃんと認めてほしいのです。
なので、こらえきれなくなった時に、堰を切ったように大放出。
他人にどうしてわかってくれないの?認めてくれないの?と詰め寄る。
こんなに私は正しいのよ、間違ってないのよと正当化する。
いや~わかりませんって。。。
で、やっぱりわかってくれないのね。認めてくれてないのね。と。
誰も私のこと、わかってくれない・・・認めてくれない・・・
そして、心を閉ざす。
それでも、まだ認めて欲しくて、色々と挑戦するんです。頑張るんです。
こうしたらわかってもらえるんじゃないか、こう言ったら受け入れてもらえるんじゃないかって。
で、やっぱり駄目だ・・・と頑張った分無理した分さらに凹んで・・・心を閉ざす。
・・・
それがね、わかっちゃったのです。
誰が私のことを認めてないかって。否定しているのかって。
・・・
自分の存在を認めてほしくて、認めてほしくて・・・でも誰も認めてくれない。
どうして認めてくれない?
何が悪い?
責任は誰にある?
・・・
答えは、私でした。
自分でしてしまっている自分への否定を、自分の存在を認めていないことを、他の人に「認めて欲しい」と転嫁していたのです。
でも自分が自分を認めていないのだから、「認めているよ!」を受け取れないのです。
どんな言葉も、私を否定する言葉に聞こえてくるのです。
そして、受け取るのを拒否しているのは自分なくせに、「認めてくれてない!」とその相手に対して憤って、悲しんで、寂しがっていたのです。
私が認めていないことを、他人を使って、認めていないのを証明しようとしていたのです。
すごく不思議な渦の中にいたようです^^
じゃ、やっぱり私のせい?
悪いのは私?
こんな私にしたのは誰?
・・・
過去にありました。
みんな、ちゃんと、正しい理由があって今を生きているのです。
ちゃんと生きていて、いいんです。
誰も悪くなんかないんです。
こんな私になったのには、ちゃんときっかけがあるのです。
そこが責任なのです!
大きな過去の中に。
今に責任はないのです。
責任の所在をきっちりと明らかにして、責任をとってもらって、解消してあげましょう。
過去は変えられない?
いいえ。変えられます。
事実ってなに?
過去の事実、頭の中にしかありません。
過去の事実、一緒に体験した相手がもしいたとしても、
私と相手の思う頭の中にある事実、一緒ではありません。
同じ体験をしたとしても、あったこと自体忘れ去られていることかもしれません。
そんなもんです。事実って。
もしかしたら、その事実、変えられないかもしれない。
でも、もし、過去の事実、それを今体験したとしたら。
小さかった自分、無力な自分、うのみにしてしまった幼かった自分とは、感じ方も対処も違うと思うのです。
潜在意識、つまりイメージの中にある過去の事実、もう一度体験してみましょう。
そして、責任をしっかりとってもらいましょう。
潜在意識は、過去も未来も、そして今も、区別がつかないのです。
幼かった頃、一生懸命生きるために覚えた知恵、その知恵は、今ではもう必要ない。
自分を悪者にして、自分を誤魔化して、自分を否定することなんてない。

↑続きを読む前に一息ポチっと^^
認める。
私は、「可愛いね~」とただ子猫のように抱きしめてしめてほしいと思ってました。
私の存在を、そのままムギューっとして欲しいと思ってました。
「可愛い♪可愛い♪♪」とただいいこいいこして欲しかったのです。
でも。
誰も私のことを良しよししてくれない。
どうして???
そう。
私の存在を捨てたのは私。
ある時期、私は過去の自分を捨てました。
・・・だって可愛くないんだも~ん。
でも。
自分を捨てるような私にしたのは誰?
可愛くない・・・と思ったのは何故?
それも過去の事実が責任です。
それでも。
そうやって、みんな必死に知恵を絞って、正しいと思う今を生きているんです。
その過去の時だって、正しい選択をして生きていたのです。
自分も相手も。
でももし。
そこに悩みがあり、生き辛さを感じているのだったら、責任を見つけに行きましょう。
今に責任はありません。
自分にも、相手にも他人にも責任はありません。
大丈夫。
過去の事実が責任です。
もしかしたら、覚えていない過去にその責任があるかもしれません。
過去の事実は、頭の中。潜在意識の中。
答えは潜在意識の中。
過去の事実を探って、向き合って、想いをぶつけて・・・
そして許してあげましょう(*^.^*)
だって、その相手も、その時を必死に正しく生きていたんだもの(*^.^*)
++++++++++++
誰も間違ってなんか、ない。
ただ、悩みを打ち消して、生き辛さを解消し、幸せな道を進むか、そのまま持ち続けて繰り返すか。
それでも、どちらも、間違ってなんか、ない。
選んでいい。自分の想いに従っていい。
みんな正しい。
大丈夫(*^.^*)
これはノンフィクションに基づいた私も含めた皆さんへの応援歌です^^
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休息はちゃんととってますか?
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私の一番の想いは、「私のことを認めて欲しい」でした。
認めて欲しいがために、色々なことを頑張ってました。
一緒懸命、助けを求めることなく、自分の力で頑張ってました。
その頑張りの本質が、「認めて欲しい」にあることもわからず。。
何かある度に、見て見ぬふりをしたり、誤魔化したり、納得できないことも、我慢してみたり、とりあえずあやまってみたり・・・とやり過ごしてきました。
否定されないように。
少しでも認めてもらえるように。。
そうすることがどうやら知恵だったようです。
でも、そんな知恵を授かって、いつもはやり過ごしていても、心の内では、やはり納得していません。ちゃんと分かってほしいのです。ちゃんと認めてほしいのです。
なので、こらえきれなくなった時に、堰を切ったように大放出。
他人にどうしてわかってくれないの?認めてくれないの?と詰め寄る。
こんなに私は正しいのよ、間違ってないのよと正当化する。
いや~わかりませんって。。。
で、やっぱりわかってくれないのね。認めてくれてないのね。と。
誰も私のこと、わかってくれない・・・認めてくれない・・・
そして、心を閉ざす。
それでも、まだ認めて欲しくて、色々と挑戦するんです。頑張るんです。
こうしたらわかってもらえるんじゃないか、こう言ったら受け入れてもらえるんじゃないかって。
で、やっぱり駄目だ・・・と頑張った分無理した分さらに凹んで・・・心を閉ざす。
・・・
それがね、わかっちゃったのです。
誰が私のことを認めてないかって。否定しているのかって。
・・・
自分の存在を認めてほしくて、認めてほしくて・・・でも誰も認めてくれない。
どうして認めてくれない?
何が悪い?
責任は誰にある?
・・・
答えは、私でした。
自分でしてしまっている自分への否定を、自分の存在を認めていないことを、他の人に「認めて欲しい」と転嫁していたのです。
でも自分が自分を認めていないのだから、「認めているよ!」を受け取れないのです。
どんな言葉も、私を否定する言葉に聞こえてくるのです。
そして、受け取るのを拒否しているのは自分なくせに、「認めてくれてない!」とその相手に対して憤って、悲しんで、寂しがっていたのです。
私が認めていないことを、他人を使って、認めていないのを証明しようとしていたのです。
すごく不思議な渦の中にいたようです^^
じゃ、やっぱり私のせい?
悪いのは私?
こんな私にしたのは誰?
・・・
過去にありました。
みんな、ちゃんと、正しい理由があって今を生きているのです。
ちゃんと生きていて、いいんです。
誰も悪くなんかないんです。
こんな私になったのには、ちゃんときっかけがあるのです。
そこが責任なのです!
大きな過去の中に。
今に責任はないのです。
責任の所在をきっちりと明らかにして、責任をとってもらって、解消してあげましょう。
過去は変えられない?
いいえ。変えられます。
事実ってなに?
過去の事実、頭の中にしかありません。
過去の事実、一緒に体験した相手がもしいたとしても、
私と相手の思う頭の中にある事実、一緒ではありません。
同じ体験をしたとしても、あったこと自体忘れ去られていることかもしれません。
そんなもんです。事実って。
もしかしたら、その事実、変えられないかもしれない。
でも、もし、過去の事実、それを今体験したとしたら。
小さかった自分、無力な自分、うのみにしてしまった幼かった自分とは、感じ方も対処も違うと思うのです。
潜在意識、つまりイメージの中にある過去の事実、もう一度体験してみましょう。
そして、責任をしっかりとってもらいましょう。
潜在意識は、過去も未来も、そして今も、区別がつかないのです。
幼かった頃、一生懸命生きるために覚えた知恵、その知恵は、今ではもう必要ない。
自分を悪者にして、自分を誤魔化して、自分を否定することなんてない。

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認める。
私は、「可愛いね~」とただ子猫のように抱きしめてしめてほしいと思ってました。
私の存在を、そのままムギューっとして欲しいと思ってました。
「可愛い♪可愛い♪♪」とただいいこいいこして欲しかったのです。
でも。
誰も私のことを良しよししてくれない。
どうして???
そう。
私の存在を捨てたのは私。
ある時期、私は過去の自分を捨てました。
・・・だって可愛くないんだも~ん。
でも。
自分を捨てるような私にしたのは誰?
可愛くない・・・と思ったのは何故?
それも過去の事実が責任です。
それでも。
そうやって、みんな必死に知恵を絞って、正しいと思う今を生きているんです。
その過去の時だって、正しい選択をして生きていたのです。
自分も相手も。
でももし。
そこに悩みがあり、生き辛さを感じているのだったら、責任を見つけに行きましょう。
今に責任はありません。
自分にも、相手にも他人にも責任はありません。
大丈夫。
過去の事実が責任です。
もしかしたら、覚えていない過去にその責任があるかもしれません。
過去の事実は、頭の中。潜在意識の中。
答えは潜在意識の中。
過去の事実を探って、向き合って、想いをぶつけて・・・
そして許してあげましょう(*^.^*)
だって、その相手も、その時を必死に正しく生きていたんだもの(*^.^*)
++++++++++++
誰も間違ってなんか、ない。
ただ、悩みを打ち消して、生き辛さを解消し、幸せな道を進むか、そのまま持ち続けて繰り返すか。
それでも、どちらも、間違ってなんか、ない。
選んでいい。自分の想いに従っていい。
みんな正しい。
大丈夫(*^.^*)
これはノンフィクションに基づいた私も含めた皆さんへの応援歌です^^
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