みなさん、誰かを褒めてますか?誰かに褒められてますか?


育てる立場にあれば、一度は聞いたことありますよね。
「ほめて育てよ」と。

褒められると、単純に嬉しいよね(*^.^*)


「ほめて育てる」ということは、「その子のよい所にフォーカスしましょう」ということだと最近思う私。

心のデータベースの仕組みを考えると、全てが納得できちゃいます。
だって、自信満々なデータベースを作ることが、育てるモノの役目だもの。。。





ここに二つのリンゴがあります。


一つは丸い普通のリンゴ。
もう一つは一口かじりかけのリンゴ。

二つのリンゴが並んであった時、どちらに目がいくかといえば、大部分の人が、一部が欠けたリンゴの方なんですって。
完全なリンゴより、不完全なリンゴに目がいく。


また、一つの欠けたリンゴあったとする。
どこに目が行くかといえば、やはり欠けた部分。


欠けたところが悪いところ、とするならば。。。

ここからは私なりのイメージの世界。


欠けたリンゴ、その一部にフォーカスすることで、たった一口欠けた部分がどんどん大きくなっていく。。。
自分に対しても、他人に対しても、欠けた部分にフォーカスすることで、そのリンゴは、いつのまにかかじりつくされた芯だけ残ったリンゴへ。

欠けたリンゴ、欠けてない部分をフォーカスしていくことで、欠けた部分が小さくなっていって。。。いつのまにかもとの丸いリンゴへ。
というか、見方を変えれば(つまり裏側から見れば)、丸いリンゴじゃん!


あって当たり前のことに、当たり前だからとスルーすることなく、フォーカスし、そこを認めていく。
欠けた部分を否定することなく、欠けてない部分をフォーカスしていくことで、当たり前のことの幸せに気づき、当たり前の幸せを認めていく。
そうすれば、欠けた部分が広がることなく、欠けた部分をも認めた上で、丸いリンゴになる。


そんな感じでしょうか(*^.^*)


欠けた部分は見なくていい・・・とはいいません。
見過ごしがちな欠けてない部分もしっかと見て、たくさん認め褒めましょう!!



全然別の話になりますが、見方の基準を下げることで、欠けた部分が見えなくなるということも。


これはきゅうりでお話しましょう。


曲がっていて当たり前の世界の、自然なきゅうり。
どんなに曲がっていようが、当たり前なんだから気にならない。

でも、まっすぐが当たり前のスーパーに整然とならんだきゅうり。
そこに曲がったきゅうりがあったら。。。


見方の問題です。
見る側の勝手な基準値のレベルの問題です。

どこを基準に見るかで、同じきゅうり、曲がってて当たり前の可愛いきゅうりが、一転なぜにまっすぐじゃないの?の欠点きゅうりになる。

まっすぐでないが基準の世界ならば、そもそも「まっすぐでない」ことにフォーカスされることすらない。


生まれる時は、「五体満足」「ただ元気であれば」・・・という子供に対する親の想い。
そうだったハズなのに、「這えばたて、たてば進めの親心」、子供に対する期待をどんどん膨らまし、いつしか、子供の成長以上の期待を込めてしまう。

成長以上の期待を勝手にこめて、期待に応えられないことを、その子の欠点として見てしまう。。。


期待値、基準値を一度見直してみることで、欠けた部分の存在そのものが消えるかもしれませんね。



そうは言っても、「どう褒めればいいの?」のヒント。

*いつもの当たり前のことを、感謝をこめて自分が嬉しい目線で褒める。

  「今日も元気ににこにこしていて、嬉しい!」

*比較の上での褒め言葉は、他人との比較でなく、本人自身の比較、過去との比較。

  「あの時できなかったことが、こんなに出来るようになったね!」
  「目指すべきところに、一歩近づいたね!」

*とりあえず、「可愛い(*^.^*)」をつける!

  「泣いた顔も可愛い(*^.^*)」
  「怒った顔も可愛い(*^.^*)」
  「存在自体が愛おしい(*^.^*)」


・・・だって子供ってそうですよね(*^.^*)



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大人のみなさん、誰かにほめられてますか?自分をほめてますか?

褒められると嬉しいもの。嬉しい感情は心にプラスのパワーを与えます。

しっかり褒めましょう!褒められましょう!

こんなサイトを教えていただいたので、是非みなさんも(*^.^*)
さぁ、ほめられサロンへようこそ♪

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