廻らなくなったお寿司と循環の人生 | 読んだ後ちょっと元気が出てるといいな✨日々のチョイスで人生を変える

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タイチェンマイでカレン族の村に家を建てさせてもらって。カレンの村での暮らしや自宅出産、山奥での自給自走生活、これまでの経験をシェアしながら、勇気と元気をお届けできたらいいなぁ
太陽♑️月♊️Asc♏️数秘33kin62

 

 

 

今回は

日本語教師養成講座を終えて

日本語学校に就職しようとした

23歳の時のことです。

 

 

 

 

こんにちは。

ぶっとび日本語教師で数秘セラピスト

伝わりやすいファンライティング講師の

みっちょんです😊

 

こちらでは

なぜ?どこがぶっとびなのか?

これまでのぶっとび体験談と

そこで出会った素敵な方々のことを

シェアしていきます。

 

 

 

 

 

まだ今ほど「日本語教師」が

世の中に浸透していなかった

30年以上前のことです。

 

 

日本語教育の雑誌の求人から

家から通えそうな学校をピックアップ。

 

残念なことに、全ての学校の求人が

「経験者のみ」の募集で

当時のわたしには

応募資格さえありませんでした。

 

 

 

それでも二、三十校に応募書類を送り

当然返事がなかったり、

お断りを受けた学校がほとんどでした。

 

そんな中

面接を受けさせてくださった学校が

二校ありました。

 

 

そのうちの一校の

その面接の場で、

 

「なぜ

応募資格もないのに応募して来たんですか?」

 

という校長からの問いに

 

 

 

経験者しか採用しない、と

どこの学校にも

書いてありますが、

それでは私たちは、

どうやって

経験者になればいいんでしょうか」

 

 

とク◯生意気にも問い返しました。

 

 

 

今考えると

 

よく言った、

と褒めてやりたい気持ちもありますが

 

それ以上に

恥ずかしいネガティブ

 

どんな自信?

そんなものがあったとも思えないのに凝視

 

 

 

しかし当時の校長W先生は

 

「確かに。

キミのいう通りだ」

 

 

と、おっしゃって

その先の面接と

模擬授業や筆記テストなどの実技試験を実施、

 

 

結果

採用してくださいましたビックリマーク

 

 

その学校では

二年後に

日本語教師として

青年海外協力隊に参加するまで

あらゆることを

教えていただきました。

 

 

 

 

あの時

 

あの面接のW先生の判断のおかげで

わたしは日本語教師として

小さな一歩を踏み出しました。

 

 

生意気な若者の発言を受け止める

柔軟で広い心

若い人材を育てようという気持ち

 

 

 

いずれはそんな大人になって

 

今度は還元、循環させたいという思いは

今も変わりません。

今はもう

どんどん還元していく側ですもんね。

 

W先生、見ててくださいね。

 

 

 

 

 

 

と、今では自分では廻らなくなったけれど

廻ってくるお寿司を見ながら

循環💫に想い巡らせました。