引き続き、クリスチャン生活に見る結婚観、を学びます。今回は新婚時代を学びましょう。
クリスチャンである方も、そうでない方にも、新鮮で新しい考え方、を感じ取れることでしょう。
以下、マ ークジェキス牧師著『いつまでも幸せに』から引用しています。
宜しかったら、本日もクリスチャン生活に見る婚約期間、結婚観を学びましょう。
慈愛
あなたがキリストを信じるとき、神があなたを霊的な大人として扱われていることに気づいたことはありますか。ここでは、あなたがこの大人扱いに値するかどうかは関係ありません。私たちを愚か者だとか、犯罪人だとか、面汚しだとか、失敗作だとかはお呼びになりません。そう呼ばれても全くおかしくはないのにも関わらず、神はそういう扱いをなさいません。むしろ、それに値しないほど私たちを特別扱いしてくださるのです。
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い・・・慈愛・・・を身に着けなさい」(コロサイ人への手紙 3章12節)あなたは選ばれました。つまり、神はわざわざあなたを探しに来てくださったほどあなたを気にかけてくださっているのです。あなたは聖なる者です。つまりイエスの血によって洗われ、キリストと同じように聖い存在とされました。あなたは神にこよなく愛されています。神はあなたをとても価値ある存在だと思っておられるのです。
神にふさわしくないほど大切に思ってくださる私たちに対し、神は慈愛という結婚の衣装を身に付ける様に望んでおられます。それは、妻が夫を傷付けるのではなく、励ます言葉を話すこと、妻の機嫌が悪い時に夫が自分から何かをすることです。そして相手が自分に理解できないことを言った時に、早まった答えを出そうとするのではなく、一番いい解釈をしようと努力することなどです。
あなたはそんなに優しい人になれる自信はない、と思いますか。おそらく、それは難しい事でしょう。だからこそ、キリストがどれほどあなたを優しく取り扱ってくださるかを学び、そこからエネルギーと刺激を受けてください。
謙遜
後ろを振り返ることは危険な行為です。ロトの妻はそれで塩の柱になってしまいました。あなたも例えば、過去に交際した人の中から別の人を選んで結婚すればよかったと思うことがあれば、結婚をダメにしてしまう可能性があります。
結婚を含むどんな人間関係にあっても、プライドを持つことは命取りになりがちです。それは、人生に裏切られたと思うこと、相手が自分に償いをするべきだと思うこと、もしくはもっと自分はうまくできたはずだと思うこと、などです。そんなことを思う時には結婚の三番目の衣装を身に着けましょう。「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは・・・謙遜・・・を身に着けなさい」(コロサイ人への手紙 3章12節)。
謙遜とは、一緒に住む相手として自分が面倒な人になりがちだ、と自覚することを意味します。また、自分と同じくらい素晴らしい性格を持つ配偶者を与えてくださったことに感謝することです。さらに相手の不満は自分が思っているよりも、おそらく3~4倍大変なものだと気づくことです。
謙遜になるためのレッスンが必要なら、イエス・キリストについて考えましょう。天使の上に立つ王でありながら、粗末な馬小屋でお生まれになり、私たちに永遠の命をくださるために十字架の上で苦しみを受け、死んでくださった方のことを考えましょう。イエスは、私たちがイエスと共に永遠に幸せに暮らすことができるよう、これらのこと全てをしてくださったのです。
柔和
結婚相手が自分を嫌な気分にした時、アドレナリンが異常に出るのをくい止めることは難しいでしょう。相手に「仕返し」したり、「思い知らせて」やりたくなるのは、ごく自然なことです。もし自分がこういった思いにとらわれている事に気がついたら、怒りによって教えたり学んだりできることはほとんどないことを、どうか思い出してください。
私たちは、相手の言うことをコントロールすることはできません。しかし、自分の言うことをコントロールすることはできます。ここで、結婚の四番目の衣装の登場です。「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは・・・柔和・・・を身に着けなさい」(コロサイ人への手紙 3章12節)。
柔和とは、人間関係のストレスがエスカレートしないようにすることです。1人でいる時には喧嘩は起こりません。2人の人間の間に生じた誤解が、鋭いものの言い方に変わらないように注意しましょう。鋭い言葉が議論になり、議論が言い争いになり、言い争いが肉体的な喧嘩になってしまわないようにするのです。
柔和とは、ストレスのレベルがそれ以上高くならないことです。怒りの言葉が口から飛び出さないように口を固く閉じることです。穏やかな声で話すことです。相手がそんなに悪い事を言うはずがない、という前提で相手に言っていることをはっきり説明してもらうように頼むことです。後で後悔するようなことを言う前に、外に散歩に出掛けることです。
寛容
悲しいことに、現代の競争の激しいメディア主導の消費文化は、自分の振る舞いを差し置いて、他者に厳しい要求をする考え方を生み出しています。レストランやホテルは、お客様が一度でも嫌な経験をすれば二度と利用してくれないことを知っているので、常に戦々恐々としています。
新婚の人たちは、お互いに結婚については初心者です。つまり新人らしい失敗をする人と結婚するのです。だからこそ神は夫と妻に、父と母から離れ、互いにぴったりと寄り添うように勧めているのです。何があっても決して自分の夫を父親と比べたり、妻を母親と比べてはいけません。相手は結婚のベテランなのですから、そんな比較は不公平なのです。自分の結婚相手を温かい目で見てあげましょう。
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは・・・寛容を身に着けなさい。 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい」(コロサイ人への手紙 3章12,13節)。
神がどれだけあなたに寛容でいらっしゃったかを考えてみてください。どれだけあなたを育て、あなたのためにどれだけエネルギーを費やし、様々な方策をとってくださったかを思い出してください。どれだけ自分の失敗から学び、励ましや賞賛によって成長してきたかを考えてください。それと同じ寛容の心を、自分の結婚相手にも示してあげませんか。
主よ、私たちに罪を犯す結婚相手を私たちが赦すように、私たちの罪をもお許しください。