今日は語りんチョ。あれ、今日も、ネ?
お付き合い、ありがとう
わたしはクリスチャンです。
クリスチャンとはどんな人たちかな?
色々な人が居ます。
クリスチャンだからと言って、何もあなたと変わらないんだ。
クリスチャンとは『生き方』です。
普段、生活をしていると日本ならば気付かれにくいのではないかなあ。
わたしはカリフォルニア住まいですから、『聖書』という言葉や『祈り』は日常的に使用する名詞です。
友達とサヨナラする時に『あなたの為に祈るわ』、『God bless you! 』神様の御加護を!、など、わたしは頻繁に使用しますね。
最近では『Pray for Japan』と。
わたし、嬉しくなります。
どなたかが、わたしの愛する祖国の平安を祈ってくれるという事実。ありがたい気持ちになります。
クリスチャン。
……わたしはどんな人かな。
最近、
わたしは大変、喜ばしい賛美をうけました。
わたしが弱っているとき、友人はわたしをこんなふうに励ましてくれました。
『悲しみ』の中に『ひかり』を見つけ、邁進する、ひと。
『見えないもの』を信じる人。
『見えないもの』を見せてくれる人。
わたし、そんな大それた人間ではない
しかし、わたしには強い『信仰』と『信念』があります。
これは、誰にも、どなたにも、ナニモノにも、揺るがされない、わたしのつよい、つよい、こころだとわたしは信じています。
『苦難』の中に『ひかり』を見つけらる、ひと、だなんて。
あいややや。
わたし、嬉しかった~。
どなたかに認められる、とか、
何かを見える形で成し遂げたい、という承認欲求はとうに捨てました。わたし、ね。むかしのはなし。
しかしながら、Graceを他者から受けることは恵みであります。
わたしも人間。励まされ、励ましあい、支えあって祝福しあい、生かさせていただいています。
『ミミと居ると見えないものが見える気持ちになる』、とは昨今、友人になり、日々、絆を固くしあっているミス・Dからのありがたい祝福でした。
車椅子を使用しますし、人の助けが様々な場面で必要になりました。
国からもハンディキャップの認可がおります。
(駐車場の認可表のみにして、個人的な障害者認定はしておりませんが)。
しかし、わたしはこうも考えるのです。
(以下、言葉が不適切であればすみません)。
人類、みな、病気。
人類、みな、不完全。
人類、みな、『何か』、が、ある、と。
わたしの『障害』は目に見えて、ダイレクトであるから、伝わりやすく、あります。
あなたの痛み、深いです。
あなたの根源、は簡単には治らない。
わたしの痛みはわかりやすいかな。
あなたの痛みはわかりにくいかな。
何故なら、あなたの痛みはこころの深淵にあり、それは根源的な苦難であるから。
あなたがもし、真に救いを求めるのであれば、あなたはこころを開いてあなたの罪を認めねばならない。罪とは法的なものだけ、ではない。
嘘、
罪責感。
人間、みな、罪をおかしながら生きています。
あなたは知っている。汚いあなた、を知っている。嫌悪したり、する。
いつか、来ます。今じゃなくても。
あなたが決めたら、いま、がそのとき、になります。
変われるとき。変わる時。変わらねば、ならぬ時、が人生の転機には何度も、何度も訪れます。
そこで変わりたいか。
変わらなければ普遍的にその悩みはあなたの『人生』から消えないでありましょう。
環境を、変えたとて。
付き合う人を変えたとて。
根本、は、そう、は変わらない。と、言うか、変わること、が難しい。
あなたが、真に心に芯に信じて変わらない、かぎり。何も変わりません。
『状況』を変えたとて、『根本』は変わりません。
一瞬は変わったよう、に、みえます。
見えたり、する。気のせいかな。
2、3年後、10年後も、あなたは、その『新鮮』さを保てるかな。
○○○を変えなきゃ、変わらない、のだ。
気づくかな。
気付かないかな。
また、
あなたは、
気付きたいか、また、なあなあで、この先も、すすむ、こと、を選ぶか。
あなたはもう、暗闇を歩かなくていい。
それはあなたの『選択』だから。
あなたは迷いがある。
だから、わからない。わかるふりをしているが、
ほんとう、は、わからない。
1# 自分に向き合う。罪を知る。
罪を認めよう。
2# 変わりたいと神様に願う。
3#祈る、祈る、祈る、聖書の言葉を受け取る。
わたしが紹介した聖句から、
あなたも何かを感じられました。
これが神様のことばのちから、です。
『真理』はひとを動かす。わたしは信じています。
聖霊様のちからをあなたも感じられますように。
あなたは『完璧なひと』に出逢ったことはありますか?
わたし。
完璧なひと、に出逢ったこと、は、ありません。わたしもぐちゃぐちゃした人間でありますが、わたしのまわり、も、相当なわけ、です。
で、
それが、いい。
それ、で、いいんです。
うまく出来ています。
わたし達は完璧にならずともいい。
助け合える。補え合える。
そして、それが必要だ、と知ります。
弱さを抱きしめて、自分を受け入れる。
それは、
自分を人間だと認めること。
自分は弱いと受け入れること。
自分独りだけ、では『何も出来ない』ということ、を知る、こと。
何故なら、弱さを知らなければ強くはなれないから。また、自分の弱さを認めたとき、ひとは変われる、から。
今朝、彼がぽつりと告げてくれました。
When I was young I lived in an environment where I was not good enough, which has developed into me becoming a perfectionist.
No one tells me that I am not good enough anymore except myself.
I realized recently that I no longer have to be perfect, only human.
僕は幼少時代から、『お前はダメな子だ』
『お前は出来ない』
『お前はバカだ』と言われて育ってきた。
それらの経験は僕を『完璧主義者』に作り上げてきたとおもう。
(わたしの夫は親族や周りの大人達から肉体的、精神的虐待を受けて育ちました)
最近、僕はやっと気がついたんだ。
僕はもはや『完璧』にならなくていいんだ。
僕は『人間』になりたいんだ、と。
あなたは、『人間』だ。
あなたは『完璧』じゃない。
『完璧』になろうとしなくていい。
『誰か』にならなくていい。
あなたはだあれ?
あなたはなにをしたい?
あなた、を探そう。
大丈夫
わたし達は、まだまだ『過程』にいる。
変われる。
生き返られる。
そう、あなたがのぞめば、です。