菜の花畑


この地上は、光に溢れている。


半年ぐらい、目にする景色が、朝露を浴びたように、光輝いて見えた時期があった。

弟のレザルが亡くなった後からだ。


その景色を目の当たりにしたことで、私が今まで見ていた、見慣れた景色が、「色褪せていた」ことがわかった。

スモークが、かかっていたようだった。


今は、見え方が元に戻った感じだが、いつも見ていた景色の色とは、少し違う。

きらめきはないが、色褪せて見えることはなくなった。



脳裏にはまだ、水滴を含んだようにきらめいている葉達の姿が、感覚的に残っていて、時々思い出すことがある。 


そしてその景色を思い出すと、その美しさに、胸が震え、ドキドキする。



この地上は、本当は、光で溢れているのだろう。


「日常は光で溢れている」が、感覚が鈍くなり気づかなくなっていたのだ。



すべてが、ありふれた生活のひとコマとなり、生きているのが当たり前になり、毎日過ごす変わらない日常に、感謝する気持ちが薄れていく。


そして、満たされない思いを抱え、心が疲弊して、自分の内外に見えない塵が溜まる。


何かを失って初めて、「本当は、あたり前なんかないんだ」と知る。



毎日は、毎日が新しい一日なんだ。


今を丸ごと喜ぶ。