こんにちは、Michikoです。

 

《一周忌の法要》-「当たり前のように過ぎていく日常生活の中にある幸せ✨」

先月、父の一周忌の法要を行いました。
去年の6/27に父が他界し、もう1年になるとは・・・月日が過ぎるのは本当に早いなと思います。

日々慌ただしく時間に追われて、体もくたくたで(笑)、何がどんな風に過ぎていったのか分からないような1年でした。

1年近く経っても、父が居ない生活はまだ慣れなく、家には居ないけど不在にしているだけのようにも思えて・・・。

半年ほど入院していた病院に今もいるのではないか、玄関を開けたら帰りを待ってくれているのではないかと思えてきたりします。

声を荒げたり、怒ったりする事は殆どない父で、母があれこれ感情的になって物を言っても、父は至って冷静で言い返す事もなく・・・。

しかし、私には気を遣う必要がないからなのか、遠慮なく結構あーだこーだ言ってはいましたが(^-^;

エアコンの調子が悪く、水漏れするので修理をお願いしました。

保証期間内だったため、追加費用などはかからなく、まぁ水漏れもとりあえず治まったし、様子見で買い替えまではいいんじゃない?と話すと、

父「いや、買い換えよう!買い換えた方がいいと思う」

私「普通に動いとるし、暫く様子を見てからでいいじゃん。買い換えるのも高くつくし・・・。また調子が悪くなってから考えたらいいじゃん」

父「買い換えんといけん。ヨドバシとかでカタログもらってきてくれんかのう」

この後もやり取りは続くが、

どうしても父は買い換えたかったらしく・・・、曲げなかった(笑)

会社帰りに寄って、カタログをヨドバシでたくさんもらってきました。

いろいろカタログを見て吟味後、ダイキンのエアコンにして、ジャパネットタカタで購入していた父。

安く購入できたらしい。

それから数ヶ月後に私が入院・手術。

私が幾らか動きやすくなってきて日常生活を送れるくらいになった頃に今度は父が緊急搬送・入院。

今思えば、いつになく断固として自分の意思を曲げずにエアコンを購入すると主張していたので、父は自分がそう長くないかもしれない事を察して、母や私が困らないように先を見越していたのではと思います。

工業高校の電気課を卒業して、家電が大好きだったのか、父の持っている書類の山の大半は家電の広告・・・(笑)

いつもくまなくカタログや電器店のチラシを見ていたのを思い出します。

コーナンやホームセンターに行っては、ちょっとした棚や便利グッズなどを作るのも好きだったようで、あれこれ工夫して考えてくれていたのだなと、父の優しさを今更ながらしみじみ痛感。

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<年代もののカセットを発見>
法要は葬儀の時にもお世話になった総持寺にある光明寺さんにお願いして、お世話になりました。

生前好きだったものなど何でも良いですよと言われて、食べ物やCD、カセットなどを持参。

当日の朝、父の荷物を探していたら、白い紙で包んであって何だろう?と思って開けてみると、テレサ・テンのカセットを発見📼

貧乏性なもので、裏が白い広告の紙でカセットを包んであるという節約。
色褪せる事なく、カセットは綺麗な状態で保存されていました。
しかし、年代ものだなぁ。

大事に保管していた父・・・。

私が小学生の頃、父が居ない時にステレオを触って、勝手にこのカセットを聴いていたのを思い出します(笑)

<地域の違いや風習>
自分で段取りをして、一周忌の法要を進めるのも初めてで知らない事ばかり、至らない部分ばかりでした。

お寺に確認したり、ネットで調べたりお店の方に聞いて御供の準備をしたり・・・。

水引や熨斗は広島では白黒のものが多く使われている印象があるけど、関西では黄白のものが多いらしい。

百貨店の店員さんにお聞きすると、御供も複数渡す場合は、重ならないようにと2個目からは無地ののしを使うなども今回初めて知りました。

<住職さんのお話>
去年の11月に親戚の結婚式で、鹿児島に行かれて、その日の夜、心筋梗塞になられたそうです。

対応が早くて助かった事、診て頂いた病院が早朝からの手術の対応をされておられる先生がいらっしゃったそうで、もし少しでも遅かったら命にも関わっていた、生かされて戻ってきた事のありがたみを感じますというお話もありました。

万が一の時は、こうしてお会いできなかったかもしれないというお話に、1日1日生きている事も奇跡の積み重ねで、人と元気に再会できる事の幸せを感じます。

救急車ではなく、普通にタクシーに乗って病院に行こうとされていたそうで、救急車を呼ばれて正解でした。

同じく父の異変を感じた時も、救急車を呼ぼう!と私が言うと、

母「夜遅いしいいよ・・・朝になってからにしよう」

私「朝になって手遅れになって命取りになったらどうするん?」

母「いや、朝まで待とうよ」

と拒む母を突っぱねて、救急車を呼びました。

救急車を呼ぶ事を遠慮して、躊躇する気持ちも分かるけど、普段とは違うかも!?という場合は早急な判断が必要と思います。

救急対応して頂き、父の事も救って頂きました。

住職さんも救急車を呼ばれて、ご無事で何よりでした。

心のこもった法要をして頂き、住職さんと奥様に感謝です。
ありがとうございました。

<当たり前ではない日常>
私も一昨年、入院・手術を経験して、医師から「突然死の可能性もあります」と言われて、

今日が最後かもしれないと眠りにつき、朝目が覚めると今日も生きている・・・と感じる日々でした。

住職さんのお言葉にもありましたが、朝目が覚める事は当然のことのようで当然ではなく、生かされているのだなと感じます。

朝起きて、両親も起きていて、3人分の朝食の準備をして私は仕事へ。

帰宅したら両親が待っていてくれていて、料理を作って一緒に夕食。

当たり前のように日常が過ぎて、それがどれだけ幸せだったのかと、失って初めて気づく事も多く、父と過ごした日々を
思い返したりします。

子供の頃から感情表現を殆どしない寡黙な父でしたが、入退院を繰り返していた晩年の10年は、人と接しなければならない必要性も感じてか、冗談を言ったり、割と喋るようになりました。

私が作った料理を「美味しかった」と言って食べてくれたり・・・。

母に「美味しかった」と言っている姿は見た事がなく、多分照れて言わなかったのだろうけど(笑)

看護師さん達から聞く父は、

「冗談を言ったりユーモアのある面白い方でしたよ」

「いつも気遣いのある優しいお父さんでした」

という感想で、もしかしたらそっちの父が本来の父だったのかもしれないとも感じます。

今も玄関を開けたら「みっつあん」と呼んでくれた父っつあんが居てくれるような気がします。

去年のブログです↓

(アメブロ)《偶然とは思えない不思議な繋がりとご縁》-「最愛の父っつあんへ感謝と72年間お疲れ様の気持ちを込めて」

https://ameblo.jp/michiko-vo/entry-12811699719.html


(アメブロ)《お世話になった病院への御礼のお手紙》-「初めて見た父っつあんの涙、そして優しさとユーモア」
https://ameblo.jp/michiko-vo/entry-12813077601.html


(アメブロ)《父の四十九日の法要・江戸時代の寛政から先祖代々続く繋がり》-「姿は見えなくても・・・」
https://ameblo.jp/michiko-vo/entry-12820597700.html

 

20年くらい前の父と母。
一貫して七三を貫いたザ・昭和の父(笑)
家族旅行したのはこの時が初めてだったかも。
3人で旅行したのは最初で最後、静岡に行きました。

 

光明寺さん
葬儀や四十九日の法要の時にもお世話になりました。
心のこもったお経でした。
住職さんも父と同じくテレサテンのファンで、偶然の共通点もあったりご縁を感じます🍀

 

一周忌の法要当日、父が持っていた荷物から見つけたテレサテンのカセット。
白い紙(広告の裏・・節約の父 笑)で包んであって、何だろう?と思ったら。
1987年もののカセットで年季が入っているが、綺麗な状態で保存されていたので大事にしていたのが伺えます。

 

住職さんの奥様に「生前お父さんが好きだったものを持ってきてもらったり、何でも大丈夫ですよ」と言われて、果物やお菓子を持参。
どら焼きや和菓子が好きだった父。

 

光明寺さん

住職さん、奥様、お世話になりありがとうございました✨

 

父の一周忌の法要。

写真や父が大事にしていたり、好きだったクラシックのCDやテレサテンのカセット、果物やお菓子などを御供しました。

 

一周忌の法要。
最近はご高齢の方も多いという事で、正座ではなく椅子が用意されていてありがたかったです。
伯母や母も椅子があって助かりました。

 

光明寺さんの一言メッセージ。
心に響きます。