顧客満足を生み出す仕組み―この18社に見つけた!  からの抜粋です。

  

  日本のオートバイ市場はこの23年間で出荷台数が330万台から70万台
  へと信じられないほど激減している。


  しかし、ハーレーダビットソンだけは、

  20年間業績を上げ続けているのである。

  

  ハーレーのバイクは
  平均価格200万円強。


  他社の倍の値段はするバイクを、年間1万2000台近く売り続けているのだ。


  エンジン音を響かせてトップをひた走るハーレーダビットソン。


  この華々しい業績を支えるのは、顧客満足に対する
  ストイックなまでの努力と挑戦である。


  胸にずしりと響く独特のエンジン音、黒を基調とした渋いデザイン、
  光を放つシルバーの部品、存在感ある大きな車体、サドルにまたがる
  革ジャンにサングラスの強面な男―。


  ハーレーダビットソンという名を聞いて、私が思い浮かべるのは、
  こんな光景だった。


  ところが、取材の下調べをするうちに「どうも違うぞ」と
  思い始めたのである。


  ハーレーダビットソン(本社・米国)の日本独立法人「ハーレー
  ダビットソンジャパン」は自社資料をHP上で公開しており、
  マーケティング手法などは書籍にも詳しいのだが、
  まず驚いたのは、顧客満足度向上へかける思いの強さだった。


  オーナー(同社では顧客をユーザーではなくオーナーと呼ぶ)
  の構成比も10代と20代で30%、30代が32%、40代が23%、50代
  以上が15%とバランスがよく、顧客の平均年齢が38歳という
  数字も健康的に思える。過去10年間、比率は安定しているという
  から、新陳代謝が継続的に行われてきた証拠である。


  また、バイクを売るのではなく、ライフスタイルを売る姿勢を
  貫いていたことも興味深かった。ハーレーは、確かにバイクという
  モノを売っているのではあるが、それよりもモノを含めたコトを
  売っているようなのだった。


  ■ハーレーのある生活を10の楽しみで表現


  モノとコトの違いは有形か無形かである。無形商品はホテルの
  客室空間のように事前に商品を渡すことができない。そして
  購入の決断(予約)と実際の購入(来館)との間にタイムラグ
  が発生する。ゆえに無形財の経営は、「いかに期待感を提供し、
  いかに当社を選んでもらうか」が重要になる。
  
  ハーレーダビットソンジャパンはこの点をしっかり固めていた。

  ハーレーダビットソンジャパンが顧客に広く提唱している
  「ハーレーダビットソン10の楽しみ」は、まさに期待感を抱いて
  もらうためのツールである。


  ハーレー10の楽しみ


  1、乗る楽しみ

    ハーレー以外では得られない、乗って走る喜び


  2、出会う楽しみ

    ハーレー仲間との出会いで世界が広がる


  3、装う楽しみ

    ハーレーらしさ、自分らしさを表現するファッション・小物が
    3万アイテム


  4、創る楽しみ

    世界にただ1台の自分だけのハーレーを創る楽しみ


  5、愛でる楽しみ

    乗らない日も、ハーレーは心を熱くする


  6、知る楽しみ

    伝説のメカニズム、文化、歴史などハーレーの奥は深い


  7、選ぶ楽しみ

    ハーレーは機種、部品ともにバリエーションが豊富


  8、競う楽しみ

    サーキットを走るとき、マシンと一体になる


  9、海外交流の楽しみ

    72カ国に散らばる81万人の仲間たち


  10、満足する

    ハーレーに対するユーザーの満足度は98%


  セールスプロモーション広報マネージャーの増田勝也氏は
  次のように語る。


  「お客さまに『楽しいですよ、生活に潤いを与えますよ』と上澄み
  的な言葉だけで期待感を持ってもらうのは難しい。そこで、
  『ハーレーのある生活というのはこういうものですよ』と具体的
  に伝えるため、10のキーワードに落とし込んでみたのです」

  (~中略~)


  差別化の具体化は、年間100回以上行われるイベント
  を例にすると分かりやすい。イベントは経営の一環だから、
  当然、試乗会をかねた企画が多いのだが、ハーレーの行う
  イベントは利益に直結する商談の場という雰囲気はなく、移動遊具を
  設けるなどレジャーの位置づけで開催している。


  ファミリーカーのイベントならいざ知らず、ハーレーの商品は
  751cc以上の大型バイクである。家族を意識したイベントは珍しい
  のではないだろうか。


  これについて、前出の前田氏は「販売店にもキッズエリアを設けて
  いる店がありますし、我々は、家族でハーレーのある暮らしを
  楽しんでほしいと思っているのです」と語る。


  それはなぜかと言えば、ハーレーのオーナーになるということは、
  最低200万円はかかる趣味を始めるということだ。


  オーナーは平均年収こそ全国平均を多少上回っているものの、
  とりわけ富裕層ではない。しかも年齢構成比からみて既婚者が
  多いから、家族の理解は不可欠なのである。


  面白いことに、
  妻を連れて契約に来る人はすんなりオーナーになって還っていくが
  一人でやってくる人は後日、「ちょっと待って」となるケースも
  あるとか。やはり家族の理解は重要案件なのだ。


  「家族で参加できるイベントや夫婦そろって楽しめるツーリングを
  企画するなど“ハーレーがあるライフスタイル”を私達は創造して
  います。ご夫婦で参加していただくと、奥さんが夫が休日に
  どんな人たちと走っているのか分かって安心されますね。そういう
  意味で、ハーレーライフは実に健全でオープンなんです」


  そうなのである。当初、私が持っていたハードなイメージとは
  異なり、カッコよさを持ちつつもフレンドリーで家族的、
  ハーレーはそんなライフスタイルを届けていたのである。


  ■息子が帰ってきたくなるような店ですか?


  このほか、全店で理念の共有を図るためにハーレーダビットソン
  ジャパンはさまざまな工夫をしたのだが、分かりやすい言葉を
  活用した例はその一つである。


  たとえば店舗改装をうながしたい販売店には、

  「息子が帰ってきたくなるような店ですか?」
  「恋人をここに連れてこられますか?」

  と問いかけた。


  息子が・・・は、後継者が育ちにくいといわれる二輪業界では心を
  とらえる言葉であるし、

  恋人を・・・は後継者になると腹を決めた
  若手にとっては、はっとする言葉になるだろう。


 「二輪販売店は小規模店が多く、やすやすと先行投資に腰を
  あげることはできません。


 『きれいにして人を呼びましょう』『顧客満足を大切に』
  などの言葉だけで、店主の心は動かせないのです。
 “10の楽しみ”のように、具体的かつ一貫性を持って
  伝えることが必要でした」
  
  この甲斐あって、多くの販売店が店舗改装の意義を理解し、
  取り組んだ。すると、顧客増加と、これに付随した後継者増加
  の事例が生まれたという。


  「いい流れができると、経営者の父が中高年層を、息子が若者層を
  つかんでさらに客層が広がります。『値引きしてやっと買ってもら
  うようなバイク屋じゃない』と誇りが生まれ、将来を考えて
  一台一台丁寧に売っていくようにもなります。明らかに前向きに
  なるんですね。精神も潤うビジネスになった姿を見ることは、
  われわれ本部もうれしいところです」


  店主の誇りは、店内のちょっとしたところで形になっている。


  あるディーラーでは、新品の車両についていた“商品に触れないで
  ください”という注意書きが、“ご自由に触れてください。怪我
  だけはご注意ください”という注意書きに変わっていたという。


  ■将来はオートバイ50%、サービスレジャー50%


  最後に、ハーレーダビットソンジャパンの今後の展開を聞くと、
  ユニークな答えがかえってきた。


  オートバイ市場の中の一商品という位置づけだけでは、過小傾向
  にある市場にそのうち引きづられてしまう懸念があるため、
  軸足をシフトさせることを念頭においているのだという。


  「将来的には、オートバイ産業50%、サービスレジャー産業50%
  くらいでビジネス展開したい」


  なるほど同社は、ツーリング企画や大規模なイベント開催もお手の物。
  レジャーのノウハウは培っている。


  2010年をメドに、サービスレジャー産業を
  一段高みに押し上げる予定だそうだ。


いのちをいつくしむ新家庭料理

  まえがきからの抜粋です。

  この方は82歳で現役の料理研究家でありますが、
  彼女の料理を愛でる心が好きで、よく読ませていただいています。


 
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


  私は、料理原稿を二十余年書きつづけ、約千点の主題を処方し、
  世に贈ってまいりました。


  この間、お目にかかるすべのない読者の向上に
  心を通わせずして筆をすすめたことは、一回もございませんでした。


  書きたくない日、言葉に置きかえにくい調理過程に難渋し、
  簡略化の誘いにかられても根源的に大切なことは、自分を励まして
  書いてまいりました。


  基本的なことは「何気ない、平凡なこと」の中にあります。


  例えば、朝使う青菜は、就寝前に水につける/葉が傷つくような
  洗い方はしない/葉と茎は異質のものとして扱う/水分の切り方
  は、ものの質と、用途によって、微妙な差がある――などなど。


  このような料理以前の心得に人々の留意を得、改善の意志にまで
  導くのは芯底、力を要することなのです。


  台所仕事は自分の人生と他の人生を全く受容しなければ、
  終生重荷となる作業です。


  半端なものではありません。もし逃れ難く感じたならば――

  生命の仕組みに「食」はおかしがたく組み込まれていることを、
  気を鎮めて考えましょう。


  そして、いつかは、自分の生命でさえ、自分のものであって、
  自分のものではないこと、仕えていく生命であることを、
  悟っていただけたらと思います。


  そのときはじめて、あらがう自我から解き放たれ、
  優しい心となって、火の前、水の前に立てるのです。


  情報過多は、家庭料理の気後れを招いているかもしれません。

  案ずることはないのです。食卓の原点は、炉端です。
  穀物と豆と汁ものを大切に扱いましょう。
  
  何よりも肝要なのはいそいそとした「さ、めしあがれ」の笑顔。


  「いただきます」と手を合わせて箸をとる感謝と畏敬の念です。


  「さ、めしあがれ」
  「いただきます」。


  私達は、世界に類のない深意にみちた表現で食事を潔めては
  いただいています。

  心より感動いたしましょう。

上甲 晃
志は愛―この世に無駄な人は一人もいない   からの抜粋です。


  志を立てるにあたり、私は、松下幸之助が松下政経塾を設立した
  ときのことがたいへん参考になる。


  松下幸之助は、「二十一世紀に日本が物心両面で、大繁栄の時代を
  迎えられる」と予言した。


  しかし、それには大前提があった。「立派な指導者が生まれてきて、
  立派な国家の運営がなされるならば」。そして、松下政経塾は、
  新しい時代の国家指導者を育てる目的で創設されたのである。


  私は、そのことがすごいと思うのだ。普通、八十五歳の高齢になれば、
  次の時代の百年間などに思いをめぐらさないものではないか。


  自分が生きるのが精一杯、「後は野となれ山となれ」私なんかには
  そのような考え方しか受け入れられない。


  第一、もし仮にも「これから百年を考える」などと言い出したら、
  周囲は止めることだろう。「お爺ちゃん、余分なことを考えなく
  てもいいから、自分のことを考えておき」と。


  志の第一条件とは、

 「自分が結果を見届けられないことに本気になれるかどうか」である。

  自分が結果を見届けられることに本気になることはむずかしくない。
  誰でも、今懸命に努力をしていることの結果をこの目で見たいし、
  生きて見届けたい。


  自分が結果を見届けられないことに対しても、
  自分自身のことのようにあるいは自分自身のこと以上に真剣になれ
  るかどうか、それが「志」の第一条件だ。


  今真剣に打ち込んでいることの結果の花は、
  子供、孫、あるいはひ孫の時代に、見事に咲く、そんなことを
  思い描いて本気になって努力できるであろうか。

  まさに、見返りを求めずして、努力できるかどうかを問われる。
  
  自分が刈り取り、自分が味わい、自分が食べ尽くしてしまう。
  そのためにどんなに真剣に働いても、それは「志」ではない。

  努力の見返りを求め、見返りがなければ努力できないというのでは
  志とはいえない。自分に見返りを求めない、これがすなわち「志」
  以外のなにものでもない。


 「志」を高く掲げるということは、遥か遠くの未来に思いを馳せて、
  自分では見ることのできない見事な花を咲かせることである。

  未来が遠くなればなるほど、「志」の本気さを問われる。


  人間は、とかく目先の利益に目を奪われやすいものである。
  とくに、「貧すれば、鈍する」。困れば困るほど、目先の利益に
  走り、ますます落ちていく。今日の経済危機にあたっても、
  たいていの経営者は速効性を求める。


  しかし、すぐに効く方法は抜本的解決にはならない。
  当面の痛み止め程度の役割がせいぜい。


  場合によっては、麻薬のようにますます抜本的解決を遅らせて
  しまうことにもなりかねない。


  困窮すれば、長い目で見ることであり、大きな目で見ることだ。

  自分の目先の利益ばかりに目を奪われるから、
  行き詰るのだ。


  百年後の子孫のためにしておくべきことはないかと考えたら、
  仕事はたちまち増える。とても自分一人ではやり遂げられない
  ほどの仕事がわいて出る。


  また、世界全体を見渡してみて、世界人類のためになすべきことは
  ないかと考えたら、仕事は無限にわいて出てくる。


  百年後、世界全体を見渡してみて、「もうなすべき仕事は何もない」
  と楽観できるほど、人類は、平和で幸せではない。


  むしろ、あまりにも悲しくつらい不幸や争いが多すぎるほどである。
  どんなに働いても働いても、なお働き足りないほど、
  私達の仕事は多い。


  それほど、人類は、大きな課題をいっぱい抱えているのだ。

  自分だけの利益、しかも目先の利益だけを求めるから、
  時代は閉塞していくのである。


  遠くに目を向ける。
  広く目を向ける。それこそが、「志」を持つことの意味である。
  
  ある新聞のコラムに「ある先住民族では、物事を判断するときに
  常に七代先の子孫にとってプラスかマイナスかを基準とする」
  と紹介されていた。


  いつの間にか、現代人は、「今得か」「私にとって得か」
  そんな判断の基準しかもてなくなってしまったように思われて
  ならない。


  「百年後を考えたら、やるべき仕事は無限にある」

  松下幸之助は、松下政経塾を創設した思いを語るときには、
  いつもそのことを口にしていた。


  百年後の青写真を描けば、なすべき仕事は限りなくある。

  夜を日についで仕事をしても、とてもやり遂げられないぐらいの
  仕事がある。それを、その日暮らしのようなことばかり考えて
  いるから、行き詰ってしまうというのである。私もまた、
  そのように思う。


  その意味からも、日本に必要なものは、小手先の不況対策ではなく
  百年後の日本、世界、人類にとって望ましい青写真を描き、

  その実現に向かって地道な努力を重ねていくことである。


  百年後、世界の人たちから、私たちの子孫が、「二十世紀の末から
  二十一世紀の初めに生きた日本人によって、私たちはどれほど
  救われたことか、どれほど恩恵をうけたことか」、
  そんなふうに受け止められる仕事をしていく、最高のチャンスを
  私達は手にしているのである。


  高い「志」を掲げて、新しい出発をしようではないか。
  新しい、力強い一歩を踏み出そうではないか。

  私の思いである。