8月23日 朝田寺地蔵盆 盆踊り | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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22・23日で残りの1町を刈った(刈ってくれた)

 

23日は小学校区の夏祭りでもあり・・・

今年でこの校舎もその役目を終える

来年には中学校校区4小学校が合併となり隣の校舎に統合される

いずこも同じ少子化である

太極拳の演技もあり・・

そして恒例のしょんがい踊り

もちろん私も音頭取りとして参加したのであったが・・・

恥ずかしながら・・農繁期のせい(、実は老齢にて)もあり、まともな声が全く出ず、、恥をかいただけであった

来年は辞退するつもり

早々に屋台を降り、、(今年は23日が土曜なので重なってしまった)朝田寺をのぞきに行った

 

朝田寺(ちょうでんじ)は、三重県松阪市朝田町(あさだちょう)にある天台宗延暦寺派の仏教寺院である。山号は光福山。院号は延命院。本尊は地蔵菩薩。地域では「朝田の地蔵さん」のほうが通りが良い[1]

ウイキより拝借

沿革

「朝田寺縁起」の伝える伝承によれば、平安時代、練公長者(ねりきみのちょうじゃ)の本願により空海(弘法大師)が創建したとされ[1]、本尊の地蔵菩薩立像は空海の作と伝わる[2]鎌倉時代正応年間には伏見院(伏見天皇)の院宣により七堂伽藍を建立した[3]。その後、織田信長伊勢国平定の際に焼失するも、元亀年間に現在の地に移転[1]。そして慶長年間には松坂城主の古田重勝に寺領を寄付[3]して、城主に従っている。また、江戸時代には絵師曾我蕭白が旅の際に2度立ち寄り、多くの作品をいまに残している(#文化財を参照)。明治時代より牡丹庭園が作られ、現在では約700株の牡丹が植えられている[4]

重要文化財(国指定)

  • 木造地蔵菩薩立像(指定 明治37年8月29日)[2]
  • 紙本墨画唐獅子図(旧本堂壁貼付)曽我蕭白筆 2幅(附 板絵著色杉戸絵(鳳凰図、萩兎図、獏図、槇図)曽我蕭白筆 8面)(指定 平成3年6月21日)[5]

県指定文化財

  • 盂蘭盆経説相図(指定 昭和47年4月1日)[6]
  • 朝田寺山門(指定 昭和54年3月23日)[7]
  • 朝田寺本堂(指定 昭和54年3月23日)[8]
  • 木造僧形坐像(指定 昭和53年2月7日)[9]

地蔵盆【八月十六日~八月二十三日】

回向は本堂のほか、混雑時には、別棟の身がわり地蔵でもうけつけられている。
(身がわり地蔵とは、鎌倉時代に作られた本尊と全く同じ外観のもので、本尊がほかの寺院などに出かける際、みがわりの地蔵が本尊の機能を果たした。)
三回忌には、盆提灯を持参し、祭り当日に供養してもらう。

朝田地蔵祭り【八月二十三日】

地蔵盆の最終日に行われる祭り。「松阪しょんがい音頭と踊りの会」主催の盆踊り、伊勢修道協会の山伏による採灯護摩、火渡り、精霊供養の花火などが行われるほか、祭事終了後に、本尊の幕を閉める『閉帳の儀』、1年間本堂にかけられていた故人の掛衣、および3回忌を迎えた盆提灯を燃やして供養する、「お焚きあげ」が行われる。
なお、翌日の24日は1年で唯一、本尊の戸が閉ざされる日である。そのため、その日に限り回向、および拝観受付等は行われていない。
 
山伏による法要
 
本堂では・・・奥に見えるのがご本尊です
曽我蕭白もあります
 
盆踊りも・・・しょんがい踊りです
・・・が・・・たくさん撮ったのですが、、明度が足りず映っていなかったです