中南勢音頭通信  一に築城 | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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一に築城 二に謎解き 三に探検名付親                  

 

一に築城といいまするは 時は永禄十一年 所は岐阜城美濃の国 天才武将織田信長に差し出された人質の中にひときは輝ける そのとき御年十三歳 鶴千代丸が御名にて 後して蒲生氏郷公

 

聡明にして利発なる 類まれなるその器量 一目で見抜いた信長は 次の年にはさっそくに大河内攻めを命ぜられる 時の領主は伊勢国司 南朝支えた北畠 この名門をば引き摺り下ろした勢いで群雄割拠の戦国を 疾風のごとく駆け抜ければ ときに天正十二年 十二万石松ヶ島城主 ここを拠点に四五百の森に城を築いて城下町 名付けましたよ松阪と

 

城ができれば町造り 楽市楽座の制を敷き 自分のふるさと近江の日野 宇治か山田か大湊 才覚豊かな商人を招き入れたるその上で 参宮街道・伊勢街道を引き入れまして 商都松阪建設に 確かな布石を打ちました 松阪開府の恩人は レオン氏郷蒲生飛騨守 是 一に築城とや申します

 

二に謎解きと申しまするは 今は昔よ、昔々はその昔 千三百年ものその昔 日本もどうやら国としての形成ったるその頃に書きあげられたる歴史書は 難解きわまる暗号文書 万葉仮名との格闘に心血注いだ人やある その人本居宣長公 半生賭けたる格闘の末 見事解読なりました 送り出したが古事記伝

 

 誰もなしえぬその業を手に入れましたるその人は 自然を愛でる日本人 他人のことをも思いやる細やかなる感性を もののあわれ と説かれましたがそのひとが 詠まれましたる歌一首

 

敷島の 大和心を人問わば   朝日ににおう山桜華  

 

二に謎解きとや申します

 

三に探検名付親とは 生まれは一志須川村 今の松阪小野江町 折しもおかげ参りや抜け参り 街道あふれる人の波が幼き頃の武四郎に 旅への思いを募らせる これが後して全国を渡らせ給う出発点

 

 頃は頃とて幕末で ざわつき始めた国境線 今の時代のことなれば アベノミクスの安部政権 尖閣列島中国の影 しかしながらもこの時代 次第に膨らむロシアの姿 僧侶で暮らした五年間 長崎平戸で見えてきた その目は蝦夷地へ北の地へ 

 

思い立ったら実行に アイヌの民は北の民 大きな力を借りました 案内されたる千島樺太北海道 歩いたその距離二万㌔ そこで目にしたアイヌの悲劇 身内和人の横暴に虐げられたるかれらの姿にこころいためる武四郎 人としてなすべきことをなしました ゆえに松浦武四郎 アイヌの信頼勝ち得た人が北海道の名付親 ゴッド・ファーザー武四郎の誉れは我らの誇りなり  

 

蒲生氏郷 本居宣長 それに松浦武四郎 これ松阪三名士 わけて今晩うかがうというは 云々