去年の4月から準備をしてきた記念礼拝での演奏が5月13日に本番を迎え、

4年前に他界した両親のために、親しい方々が集い、

それぞれの思いで両親を偲んで下さり、無事終えることが出来ました。

 

 

この記念式は私にとって

過去の精算をし、

両親に感謝をし、

自分の足で前へ進むための儀式でもありました。

この1年を振り返り、シェアしたいと思います。

 

以前にもブログで書いてきましたが、音楽家の一家に生まれた私は、

音楽留学をさせてもらったにもかかわらず、

ピアノ演奏がトラウマになり音楽の道を諦めてしまったという経緯があります。

改まった場で45分ほどですが人前で演奏することは私にとって恐怖であり、

トラウマと対峙することでもありました。

 

何がなんでも、これを成し遂げないといけないという思いが天に届いたのか、

娘のために母は教会という場と、あえてピアノではなくオルガンを、

そして父は愛弟子であるフルート奏者の平尾多美納さんと

相愛大学の教授でトランペット奏者の飯塚一郎先生という

最高のガイドを差し向けてくれました。

そうとしか思えないほど、自然な流れで事が決まっていったのです。

 

3年前にタミノ(平尾多美納)さんが「みっちゃん一緒にやらない?」

と声をかけてくださったのが事の始まりです。

最初、教会のピアノで弾く案が出たのですが、

母が通っていた教会にはピアノはなく、

記念礼拝という形ならパイプオルガンを弾いてもいいですよと、

夢のような提案を教会側から頂きました。

コロナ禍ということもあり、去年ようやく正式に、

両親の記念式をやる意向を牧師先生に伝え、

そこから20年辞めていたピアノを再開することになります。

 

5月から、タミノさんが月1回、合わせる練習に付き合ってくださいました。

いつも我家で和やかにお茶をしてから始めるのですが、

弾き始めると途端に筋肉が萎縮し足はブルブル、

手は冷たく硬直して思うように動きません。

他に誰かが聴いてる訳でもなく、タミノさんが怖い先生という訳でもありません。

何度やっても毎回、体が勝手に反応してコントロール不能になります。

一種のパニック障害ですね。

 

過去にステージで記憶が飛び止まってしまって

パニックになったことが蘇るのだと思います。

ステージでは誰も助けてくれません。

私にとって事故と同じくらいショッキングなことだったのかもしれません。

人前で弾くたびにパニックは起こり、失敗は繰り返され

トラウマから脱出できない状態になっていました。

 

1年間、自分がパニック状態になって失敗するのを想定しながら練習をしたりもしました。

でもこれは、かえって悪い経験を呼び覚まし引き寄せることになるので辞めて、

ただ音楽の流れを考え、感じることに集中するようにします。

 

本番一週間前くらいから、心身ともに緊張気味で

不意に恐怖と心配が襲うこともありました。

しかし、「ああ、いつもは生きた心地がしなくて、前日には一睡もできなかったな、

でも今度は違うよ、失敗しても大丈夫だから」

と自分に言い聞かせる余裕があり、早く演奏してみたいとさえ思うようになります。

最後の最後で、本当に腹をくくれたのだと思います。

 

本番は、緊張はしていたものの過去一、落ち着いて演奏できました。

ミスもありましたが全く臆することなく、音楽の流れにフワッと乗れたというか、

自分で自分でない不思議な感覚がありました。

両親に守られている安心感の中で、音楽と参列して下さった方々との温かいエネルギーで満たされて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

ステージではなく教会で、ピアノではなくオルガンで、一人ではなく3人で

礼拝の前奏から静かに演奏を始めるというシュチュエーションが

ステージで一人で立つという恐怖、ピアノに対する恐怖を感じることなく、

ハードルを下げた状態になり、気分がだいぶ楽になったと思います。

妄想だとしても、父と母がこの式をお膳立てしてくれたのだと思うと、

両親のこの上ない温かい愛を感じます。

 

今回の記念式は、色んな意味で浮き足立っていた私を現実に引き戻してくれました。

そして確信しました。

ピアノを巡るショッキングな出来事は過去の残像でしかなかったということ。

トラウマがまた顔を出したとしても対処できるし、

一人ではない、必要とすれば必ず助っ人が現れる。

自分を信じることは自分らしくいるということで自立すること。

大切なのは自分を知り、決めて、行動すること。

 

過去の失敗は汚名ではなくなり、糧になりました。

気持ちは晴々、ピアノが楽しい、弾きたいという心境になれている自分が嬉しいです。

 

なぜトラウマであったピアノ演奏をやると決めれたのか、逃げずに実行できたのか、

本番ではパニックに陥らなかったのか

この1年間、ヒプノセラピーや夢療法がどのように作用してきたのかは

次回のブログで配信することにします。