宮城県の大衡村のキャンプ場には10日間もお世話になりました。


車中では出来ないBBQがサイコーでした。

沖縄では見た事がない辛くない大きなシシトウが美味しかったです。

ある日お隣でソロキャンしていたおじさんのテントが真っ黒で、キャンプギアもなんかカッコいいのばっかりでいい感じでした。

こんないい物持ってるのにみんな1泊で帰っちゃいます、もったいない😭

キャンプといえば虫類です。

私もあまり得意ではないけど、

よく見ると実にキレイな色だったりします。

どんな大人になるんでしょうか?

これもキレイな色だけど、絶対お近づきになりたくないヤツです。

夫の足に「悪さ」したみたいで、激痛が走るのだそうです。

4、5日間痛がってました。

さあて出発の日、ここから先しばらくはコストコがないので給油しましょう。

ついでに180円でドリンク付きのホットドッグも食べちゃいます。

もひとつ、ついでに大好きなマスカルポーネロールもゲットしました。

2人で24個何日持つかしら……🤔(笑)


無料の高速道路みたいな三陸道をドライブして、南三陸町の道の駅に行きました。


南三陸さんさん商店街とくっ付いてます。

南三陸311メモリアル伝承館です。

あいにくその日は定休日で閉館していましたが、


こんなに美しい橋を渡った先に見えるのは、

南三陸旧防災対策庁舎です。

ニュースで何度も見た、がれきの町に赤い鉄骨だけ残ったあの3階建ての建物です。

津波が来る前にここの屋上には30名の職員が避難しましたが、屋上の床上2mもの大きな津波が打ち寄せ、助かったのは10名のみでした。

最後まで住民に避難を呼びかけていた若い女性職員も亡くなりました。

周囲は現在は震災復興祈念公園になっています。

震災で犠牲になった南三陸町民は620人で、211人が今も行方不明だそうです。

8月も終わりだというのにギラギラ照りつける太陽のもと、私なりにご冥福をお祈りさせていただきました。


風光明媚な気仙沼を通っていよいよ岩手県に入ります。

その日のお泊まりは岩手県陸前高田市にある道の駅高田松原です。

震災後に作られた巨大な堤防の上から見渡してみました。



有名な「奇跡の一本松」です。

その右側には巨大な6個の水門が作られました。

何本もの太くて頑丈なロープで水門が上げ下げされるのでしょう。

震災直後はこのような状態だった松原です。

「高田松原」というくらいだからさぞかしたくさんの松が、と調べたら、かつては7万本もの松の木が2kmにわたって茂っていたというのです。

震災後の今は「奇跡の一本松」になりました。

それも震災の翌年枯死していることがわかりましたが、市民の復興のシンボルとして遺すことになり、現在はレプリカとして当時と同じ場所に立っています。

防腐処理やレプリカ作りに1億5千万円かかったそうですが、それ以上の金額が募金で集まりました。

私がとやかく言うことではないですが、陸前高田市民のためには正しいお金の使い方だったと思います。

あの松が残れたのはこの水没しているユースホステルがあったからだと言われています。

こちらは震災の2か月前に閉館していたので無人でしたが、地震のあとの地盤沈下で水に浸かったまま遺されています。

陸前高田市の津波震災での行方不明者を含む犠牲者は1,800人を超え、岩手県内の市町村では最大です。

津波の高さが最大18.3mというのですからそれより高いところに避難する以外に人間ができることは無かったでしょう。

すぐそばにある陸前高田市立気仙中学校も遺されています。

屋上に見える茶色いボードに津波の高さ14.2mと記されています。

旧道の駅高田松原です。

ここにも建物の側面に茶色いボードで津波の高さ14.5mとありました。

高田松原物産館がありました。

鉄骨の屋根だけが残っています。

新しくできた道の駅には伝承館も隣接されていました。


巨大な鉄橋の残骸です。

震災の津波被害は本当に悲しい話ばっかりなのですが、皆さんの体験談には特別に胸を締め付けられるように切なくなります。

陸前高田市で殉職された消防団員は51人もいらっしゃるのです。

避難するように声掛けしてもなかなか応じない方や、足が悪くて避難できない方などを最後まで精一杯救助されてからの殉職だったのでしょう。

本当に忘れてはいけないと思いました。