銀輪流転

銀輪流転

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 思っていた内容ではなかったです。映画それ自体としては悪くないのですが。
 
 ベテランの戦場カメラマンと駆け出しの戦場カメラマンが戦場の取材対象へ辿り着くまでの途上で遭遇する出来事。
 その過程で、駆け出しのカメラマンにかつての自分の姿を見るベテランカメラマン。そして、ベテランカメラマンが若い才能に次を譲る。ベタな展開です。

 よくあるプロットの物語です。ロードゴーングムービーと新旧の交代の物語が重なる。別に、刑事の物語でも、ミュージシャンの物語でも、ダイリーガーの物語でも成立します。

 物語の舞台としての合衆国の内戦の必然性が了解できないのです。内戦に至った経緯が説明されないままなんです。もちろん、内戦状態にある状況の平穏日常と狂気については十分に説得的に描かれているので、悪い出来ではないのですが。
 何故? が、モヤモヤとして残りました。

 で、映画評を漁ってみたら、内戦に至る設定が示されてれた上で、それを明示的に示すとあまりに現実の政治情勢を想起させて、政治的に過ぎるとの批判を避けたかった意向との推論がありました。
 というより、合衆国ではそんなこと言わないでも判るでしょ?そんなこと言うだけ野暮じゃん!ということみたいです。
 
 そういことねと納得しました。
 数年前から週に2,3階公園に散歩に行っていた。夕焼けが期待できそうな時はコンデジ持参で。公園猫も映していた。シロミケさんの画像を探して見直してみた。

 2021年の夏、公園で仔猫があふれた。茶トラの仔猫2頭、黒白2頭、ミケ2頭。


 この場所には、キジと長毛のミケと錆茶の成猫がいた。キジが仔猫3頭に授乳しているのを見かけてから暫くして3頭の仔猫が増えた。おそらくは捨て猫だろう。










 これまで餌はやっていなかったのだが、仔猫用の餌を持参するようになった。しかし、十分に食べられない仔猫もいるようで保護しようかどうか逡巡しているうちに仔猫が消えた。茶トラ1頭、白黒1頭が残った。

 その後、冬が来る頃には、成猫も見なくなった。しばらく猫を見なくなった。保健所が捕獲したのかと当時は思っていた。
 しかし、今回のことがあり調べてみると、公式発表によればその頃は保健所による駆除は行われていない。
 仔猫は保護団体が保護した可能性はあるが、成猫は可能性は低い。






 とにかく、1、2カ月の間に猫が消えた。
 今、猫を見かけることはほとんどない。
 被害が確認された猫、行方不明の猫、合わせて10頭以上が消えた。
白三毛さんも行方不明の1頭。
 地域猫活動のNPOとつながりのない方が保護した可能性はゼロではないものの、8月中旬は事件が表面化していない時期であり可能性は極めて低い。
 
 事件表面化後、人馴れした猫は団体に保護されているものもいる。結果、公園で猫を見かけることは稀になった。

 公園では、過去にも猫が消える事件が繰り返し起こっていると聞く。私自身の経験として2021年秋から冬にかけてそのような事があった。
 公園は2017年から地域猫活動のモデル地区であると聞いている。
 先にも触れたとおり、公園の猫は去勢・避妊されている。ここ2年程メンバー固定で安定していた。
 
 今回の事態で公園から猫が消えた。
 松山市のHPでは、
   平成13年3月31日に全面開園 (45.25ha) とある。
樹木が茂る山である。そこに猫が住まうことが許されないのだろうか?
存在を抹消しなければ済まない非寛容に惨憺たる思いがする。

 岩合光昭の「猫歩き」は、失われた景色なのだろうか?