貧脚さんの四国八十八か所 (銀輪流転)

貧脚さんの四国八十八か所 (銀輪流転)

お気楽遍路行の記録です。1巡目を終えて、どうしようかと思案中。(自転車活動休止中)

 5月15日、別格二十霊場7番金山出石寺に行ってきました。まだ、4月28日の記事も途中ですが、忘れないうちに記録しておきます。

 

 標高差約800mを約9キロで登ります。遍路転がし級の急坂はなく山道としては淡々と登って行く道ですが、油断はできない山でした。

 山の暮らしがあった地域を通過するので、廃道となった生活道が錯綜しています。また、林業が盛んな地域なので、林道・林内作業車道も錯綜しています。

 

 当初、日帰り参拝(登山です)を考えていたのですが、大洲市の「ときわ旅館」さん前日泊としました。

 「ときわ旅館」の御主人がボーイスカウトの御世話役をされていて、活動として道標を設置されています。

 事前に道の様子を教えていただき、道標に助けられて無事にお参りができました。(記事ではBS案内札と表記します。)

 

7時00分

 JR伊予大洲駅6時51分発 JR伊予平野駅6時58分発。

 車両は しまんトロッコ号 でした。松山・宇和島・窪川を1往復で一日が終わるようです。

 

7時01分

駅前の道を左折します。

 

 

7時03分

 少し進んで歯医者の角を左折します。県234号を暫く進みます。

 

7時04分

「平地大安寺 乳薬師佛」 「☜千??  八幡浜道」

 

「平地乳薬師 八丁/日土☞川之石道」

 お遍路資料より、

「大正五年」「昔よりちちすくなきおんなまたは牛馬の為に能く乳を授けられる」 とも刻まれいるとのこと。

 

 「日土」は山を越えた先の地名で、日土小学校の校舎は国の重要文化財指定を受けています。

その先の川之石(旧保内町川之石)は、天然の良港で明治・大正期期は栄えていました。今でも当時を偲ばせる建造物も残されているとのことです。

 

 八幡浜と川之石との街道が出会うこの場所に大洲藩の関所も置かれていたそうです。

 

7時05分

 JR四国予讃線の踏切を渡ります。左手は大洲市立平野小学校。

 

7時10分

 左手にレンガ煙突があります。

 

7時13分

 G地図では、「柁谷醤油店」となっており、醤油醸造所だったようです。煙突が1本立つのみで、醤油蔵らしき建物は見受けられませんでした。

 

7時15分

 

 右手の山の上、お寺があります。

 

7時16分

 道標にあった「乳薬師 大安寺」

 

7時21分

 左は旧道。橋を渡って右折のほうが近道。

 

 

7時22分

 保存協力会、BS案内札があります。

 

7時23分

 すぐに左の細道を進みます。

 

 保存協力会の遍路札があります。

 

7時25分

 右の谷は、砂防ダムがあります。

 

7時31分

 ここは左の道を登ります。右は川に向かって下っています。

 

7時34分

 未舗装の道になって、程なく山道になります。

 

7時36分

 保存協力会、BS案内札があります。

 道路開削のおり付け替えたのでしょう、登りはじめは急です。

 

7時40分

 直ぐに昔からの平石敷の道になります。

 

7時41分

竹藪を抜けると、集落跡らしい石垣が左手に見えてきます。

 

7時41分

 石が転がっていて歩き難いです。

 この先の平たいところは道です。

 

7時42分

道に出て左です。

 

7時42分

 BS案内札があります。

 

7時43分

 水路の石垣が崩れているようです。

 

7時43分

 振返り画像。

 道の左手に水路があるのですが、その先で道が崩れたようです。

 

7時45分

 進行方向は、広い道。

 かつては、集落があり、自動車が通れるように道を引いたのでしょうが、今や利用する者はなく、山に還っていくのでしょう。

 

7時45分

 道の途中で右折です。BS案内札あります。

 

7時46分

「出石寺」は登りの指示方向。こちらから文字は見えませんが、下は「平野」と書かれた下山用の指示。

 

7時47分

 昔の生活道路でもあったのでしょう。段々畑だった思われる地形が道の上下にあります。

 路肩が弱くて落ちたのか、細い道が暫く続きます。ここは、獣道か昔の畦道か細い道が左に下っています。もちろん進路は直進です。

 

 

7時48分

 林地に入ったほうが道筋がしっかりしています。

 

7時50分

 三叉路になります。

 BS案内札どおり、右折で登ります。

 

7時53分

 舗装路に出ますが、直ぐに山道を登ります。

 

7時53分

 ここを登って直ぐ、舗装路に出ます。

 

7時54分

 左にBS案内札があります。

 

7時55分

 舗装路を横断して尾根筋の道を登ります。

 

7時56分

 石碑があります。山奥なのですが、管理されています。この石碑の上に墓地がありこちらも綺麗に管理されています。まだ、近隣に居住されている方がいて、管理されているのでしょうか。

 

 

「一条兼定仮寓の地」だそうです。戦国時代に四万十市:土佐中村に下った一条氏です。「大文字」がありました。

 一条兼定が豊後大友氏を頼る道中に仮寓したとのこと。昔から、四万十川を遡って大洲に出て(坂本竜馬脱藩の道)、そこから、日土・保内、あるいは笠置峠・八幡浜、に至る街道があったのでしょう。

 

7時58分

 何方かが、倒木処理をされてたようです。感謝。

 

7時59分

 林道に出て、左折し登って行きます。

 

7時59分

 広目の路盤のしまった林道です。

 

8時01分

 

 

8時04分

 林道(黄色矢印)を横切る形になります。

 

8時05分

 林道(黄色矢印)を横切って直進ですが、ここから先は林内作業車道。

 赤〇にBS案内札があります。青↓は埋設ケーブルを示すポールのようです。

 

 

 

 

8時05分

 振返り画像。

 

8時08分

 ここは、左。BS案内札があります。

 

8時10分

 

8時10分

 

 四辻に出て、右折、登って行きます。

 

8時10分

 振返り画像。「平野」は下り用の指示。

 

8時12分

 赤〇は地下埋設ケーブル。

 ここは登りはそのまま直進ですが、下りは、左からの道が気になるかもです。

 林業用の道が錯綜しています。

 

8時15分

 

8時17分

 舗装路に出て、右折です。

 赤〇は「平野」で下りの案内です。舗装路を進んで、ここで左に下るの指示です。

 青↓は、休憩ベンチが設置されています。

 

 

8時17分

 道路に出ると、BS案内札。

 

8時17分

「出石寺」で右指示です。

 

8時18分

 左の山道に分岐です。

 お遍路地図96-2では、この後、尾根筋の道を進むようになっていますが、現地では道が付け替えられています。

 

8時19分

 林道に出て、右指示のBS案内札に従います。ここは、下りの方が注意が必要です。

 

8時20分

 正面に昔の道らしきものがあります。

 「ときわ旅館」の御主人から教えてもらった要注意箇所です。

 

8時21分

林道を登って行きます。

 

8時22分

 林道を50m程進むと、BS案内札があります。

 

8時23分

 ここを右に折り返して登ります。

 林道は、この先下って行きます。「ときわ旅館」の主人から下り始めたら行き過ぎていると思って下さいとのことでした。

 

8時23分

 こちらを登って行きます。ここは、下りの時は要注意箇所ですね。林道に出てそのまま直進して下ってしまいそうです。

 左手を注意してBS案内札を見落とさなければ大丈夫。

 

 

8時24分

 三叉路になります。左折して尾根筋の道を登って行きます。

 BS案内札があります。

 

8時25分

 振返り画像1。真ん中の溝が、昔の道だと思います。

 

8時25分

 振り返り画像2。BS案内札がないと、下りは道迷いリスクが高い箇所。

 

8時27分

 

8時28分

 ここは左。古い「へんろ」札があります。

 

8時30分

 丁石もありました。

 

8時35分

 舗装路に出て左折。地蔵道はここで終了。

 

8時36分

 保存協力会の札。舗装路を1.1キロとあります。ここから、結構、下ります。少し寂しい。

 

8時37分

 

 欠けた丁石が左手にあります。

 鎌大師から登る鴻の坂峠の休憩所近くに設置されています。

 

「☞ 延明寺/二百五十八度目為供養

   /山口縣周防國大島郡椋野村 /施主 中務茂兵衛義教」

 53番圓明寺の方向を指示。「延」は「圓」の誤りか?

 

 

「右 新道 /大正四年二月/世話人 浅海村   /

            (オ)   (エ)

            山中でうれしきものは道於し恵」

 現在拡幅されて二車線となっている道は、少なくとも大正4年には、「新道」としてあったということですね。

 

「☜ 延命寺/ 施主  新潟縣佐渡佐渡郡小木

                          」

 54番延命寺方向を指示。

       

不明

 

説明板がありますが、「?」な点も。

 説明板の「これはお遍路さんを200回以上した九州の佐賀県の方が自費で建立しました。」とあるのは、不明。

 鎌大師から坂を登って、「新道」との合流点にあります。

 赤色矢印が鎌大師から登ってきた道。黄色矢印が、鎌大師の手前の遍路石の指示する「左 新道」の進路。

 「新道」及び「逆打ち」の進路を示しています。

 

 

刻字は、梅村武氏のお遍路資料を参照しています。

「☜ 延命寺へ・五里余 / 施主 (岐阜〇大垣   )」

             (  )は画像読み取り。

 

 

「☜ 圓明寺へ・四里/ 二百四十二度目・周防國   ・

                      中務茂兵衛」

 

 

「明治四十五年三月」

 

柵の中には立ち入りしていないので未確認ですが、

もう一面にも「☜ 延命寺へ五里余」とあるそうです。