貧脚さんの四国八十八か所 (銀輪流転)

貧脚さんの四国八十八か所 (銀輪流転)

区切りうちで遍路に出てます。1日20~25キロのユルユル、お気楽遍路行の記録です。(自転車活動休止中)

13時04分

 遍路道は、左折(赤色矢印)した先で本山寺山門前を通過して、国11号に合流です。

 枯木地蔵経由の遍路道を進みたかったので、近道で直接国11号に出るため、直進(黄色矢印)しました。お遍路地図通りに進めば、中務茂兵衛遍路石や他の遍路石もあったようで、残念。

 

 

13時11分

 画像は振り返り画像。信号交差点を渡って、川沿いの細い道を進んで突き当たり道路を左です。

 

13時12分

 

13時13分

番外札所:枯木地蔵堂。

 本山寺は弘法大師の一夜建立の伝説があり、そのおりに落とした用材一本を納めたお堂であるとのことです。

 

13時14分

 お堂は新しいものですが、座像石仏(お地蔵様?)は時代を感じさせます。

 集落を抜けて三豊市立本山小学校を右手に見ながら進みます。

 

13時18分

 この先で三叉路がありますが、ここでまた道間違い。

 

13時20分

 ここで道なりに直進(赤矢印)するべきでしたが、小学校の運動場に沿って進む道(黄色矢印)を進んでしまいました。

 

13時23分

 正面の道は河川堤防の道に突き当たります。手前の木の前で左に折れるのが遍路道?な感じで進んだのですが、、間違いでいた。

 

13時34分

 国11号の商業施設が遠望できるので、途中の道で軌道修正。13時20分の地点を直進するとこの地点に出てきます。

(G地図で確認しました。当日は、推測でした。)

 

13時34分

 遍路道は住宅地に入って突き当たり。

 

13時35分

 ここを左折です。

 

13時37分

 昼寝中のワン。横目で見ていますが、起きる気はない様子。

 

13時37分

 右手に神社が見えてきます。この角を右に曲がると番外:妙音寺だったのですが、後で判ったこと。

 

13時40分

五十鈴神社。

 

13時42分

 国11号に出て右折、直ぐに交番の角に妙音寺の看板。

 

13時44分

 第70番本山寺の奥之院。

 

 

本堂。

 ご本尊は阿弥陀如来様なのですが、不動尊の像が。

お遍路地図資料編によれば、

 「当山不動尊は、一名霊験不動尊とも呼ばれ、夢の中で霊示を受けることが多く「夢見不動」の尊称がある。」とのことです。

 また、かつては大きなお寺だったようですが、長曾我部の天正三年の戦火に遭ったとのこ。

 かつては、となりの五十鈴神社と併せて大きなお寺だったのでしょう。

 

13時46分

 

13時49分

妙音寺からは国11号を進みます。

 

13時52分

 讃岐と言えば、溜池です。

 

13時53分

 鴻之池から次の中池の手前、右分岐を進みます。

 

13時53分

 車道は中池の堤防に沿って進みますが、歩道はその手前を下りて行きます。

 

 

13時54分

 高速道路インターへ続く道を潜ります。

 

13時56分

 また、溜池。新池。

 

13時56分

 左手は国11号で工事中。

 石柱は、「忌部神社」と刻まれています。

 調べると、左手(西方)にある香川県立笠田高校の前に「忌部神社」がありました。お詣りはしていません。

 お遍路資料より、

「讃岐開発の祖といわれる忌部氏の祖先を祀り」とあります。

 

 

13時57分

 直ぐにお堂が。お地蔵様と思われますが、お遍路資料・G地図ともに記載なく詳細不明です。

 

14時03分

また、溜池。釘貫池。ホシハジロがプカプカ。

 

14時04分

 この先、二車線道路との交差点があります。

 

14時06分

 交差点を渡っての振り返り画像。

 

14時06分

 進行方向画像。

 

14時06分

 進行方向左手。国11号からの県道。

 

14時07分

 直ぐの三叉路。遍路道は直進です。左分岐に遍路石。

 中務茂兵衛遍路石です。

 

お遍路資料より

 「☞ 弥谷寺/☜ 本山寺/ 施主         」

 

 

お遍路資料より

「壹百五十七度目 為供養 / 周防國大島郡椋野 /

                  願主 中務茂兵衛義教」

 中務茂兵衛(願主)の願いを受けて、施主が建立したもの。

 

 「中務茂兵衛さん、遍路石を建てる費用をどう工面していたのだろうか?」と疑問ではあったのですが、こういうことです。

 中務茂兵衛さんについては、愛媛県生涯学習センターのHPにも記録があり、そのことを含めてまた「遍路おもうこと」で記事にしましょう。

 

14時09分

 5つ目の溜池、大津池。この地点に道路の左右に遍路石があったのですが、見落としています。次があるとして、、、。

 

14時12分

 池の対岸。鎮守の森は宇賀神社。池の島にもお社がありそうですが、お詣りしていません。次回、余裕があれば、、。

 

14時16分

 道筋は旧街道らしいのですが、建物は旧街道らしさは少ないです。

 

14時18分

 国11号に出て、横断します。

 

14時22分

 手前の長池と奥の蓮池の間の道を左折します。

 

14時23分

 

14時23分

 

14時26分

 四国のみち の新しい道標石。

 この手前に左分岐がありますが、道なり直進です。

 

14時26分

道の右手、池端に。お遍路資料にも記載なく、遍路墓かな?

 

 

14時31分

 東角屋池。画像左手の池端に御堂。

 

14時31分

 お堂の中に石仏ではなく、地蔵?大師座像?のある石柱が。

お遍路資料より

 正面:「座像/是より彌谷寺迠 壱里十八丁」

 右面:「寛政八丙辰三月 施主 下勝間村(当地)」

 左面:「豫洲越智郡朝倉村 徳右衛門」

で、徳右衛門遍路石のようです。

 

14時34分

 遍路道は次の松葉崎池で交差点を直進ですが、ここで右折して国11号に出ていればよかったです。

 お遍路資料によれば、ここを右折した国11号から少し入った所に高さ7.1mの石塔が見えるとのこと。G地図ストリートビューで見てみると、ありました。

 永和四年戌馬三月六日(1378)建立の凝灰岩切石を十三層に重ねたものとのことです。

 次回があるとして、、、。この日は、こればっかりです。

 

14時51分

 遍路道の次の交差点でスーパー(マルヨシセンター)に寄りました。マルヨシセンターのあるところ、こがね製麺所もあります。

 また斜向かいにはドラッグストア(コスモス)もあります。

 

14時52分

遍路道に復帰。

 

14時53分

 三叉路。道なりに直進。

 

14時53分

高津神社。

 

14時55分

 大きなサボテン。昭和な風景です。

 

14時56分

 

14時58分

 三豊市役所前の2車線道路に出会います。遍路道は直進ですが、JR高瀬駅経由でこの日の宿「千歳旅館」に向かうため左折します。

 

15時02分

 右手、三豊市役所。

 

15時03分

 左手、みとよ未来創造館(コミュニティーセンター)

 石のモニュメント。庵治石でしょうか。

 

15時07分

 JR高瀬駅は工事中でした。仮駅舎で時刻表チェック。スマホならこんなことはしなくて良いのですが。

 明日は行けるところまで行って、JR利用で帰ってきます。1時間1本か2本。四国のJRとしては、ましな方。

 

 

15時11分

 駅前の道かつての商店街を抜けていきます。右の建物は木製建具。流石に、ガラスはフロートガラスに入れ替えたようです。

 

15時12分

「千歳旅館」着。

 

 今日、NHK:BSで「砂の器」を見ました。冒頭、白装束の父子の巡礼者の映像が続きます。説明は一切なく。映画は1974年の制作。この時代は、それでも十分な伏線になりました。

 映画の情景は四国遍路ではありませんが、状況はそう変わりはなかったと思います。

 

 「今は金持ちが、金持ちを接待しているが、昔は、貧乏人が貧乏人を接待しよったんよ」は、とある民宿での話。

 歩き遍路は、「時間、体力、お金」の三つが必要で、若い頃は金なし、中年は暇なし、老人は体力なしでと、話が進んでのこと。

 金持ちは生活に余裕のある者の意で、貧乏人は生活に余裕のない者の意と理解してください。

 昔は、貧しい集落では、各家から少しずつコメを出しあって、次の集落まで遍路を送り出したものであるとの話です。

 

 路銀を持たず、行く先々で「お接待」で食べ繋ぎながら札所を巡る者、遍路乞食とも呼ばれた者達が少なからずいたのです。昔だって、十分な路銀を持って宿を取り札所を巡った遍路もいたでしょうが、少数だったのです。

 

 ここで言う昔の遍路は、自動車遍路が一般になる頃には随分と少なくなり、昔語りとなっていました。それでも、幼少期に托鉢に訪れた遍路の記憶を私は持っています。

 

 お遍路ブログを拝見していて原住民としては、

  「昔の遍路は、そんなに、ええもんじゃなかったんよ」

と違和感を感じることがあります。

 私自身、自称「お気楽物見遊山のお遍路」なので、今の遍路の在り方を非難するものではありません。

 

 むしろ反対で、

 昔の遍路を引き合いにして

   「歩いてこそ」、「野宿でこそ」値打ちがあるとする言説、

   「職業遍路」に対するある種の言説、

に触れると「なんだかなあ、、」感に捕らわれてしまいます。

 

 境遇という言葉があります。どんなに気張ってもさ、今の遍路の大勢は帰る場所があるのだからと。

 

 誤解があるといけないのですが、過去の「職業遍路」の記事も、彼らの在り方を非難する気持ちはありません。お遍路の一面として記したものです。

 

 それぞれが、自身の遍路を行って、それぞれの体験を得るのです。遍路体験の価値は、経験したお遍路自身が決めるものなのです。

 それは、人生の価値は、誰が決めるのかと同じことのように思うのです。

 

 


 

 

 

 讃岐の宿の選択は、これまでの3県に比べて随分と楽です。札所間距離が短く、JR四国の駅や琴電の駅が遍路道の近くにありますので、宿の選択範囲が広がります。

 

1.第66番雲辺寺の後の宿

 三つの選択肢があります。

①第66番雲辺寺下山直ぐの宿

 奥谷遍路道:民宿青空屋、ロープウェイ山麓駅:オハネフの宿

②第67番大興寺近辺:民宿四国路、亀の井ホテル観音寺

③観音寺市街地

 

 出発地が佐野の登口なので、②か③の検討となりました。

お遍路地図の札所間距離で、

 佐野登り口から第66番が、5キロ

 第66番から第67番が、9.4キロ

 第67番から第68番が、8.7キロ

②なら16キロ程、③なら23キロ程になります。

 

 ③も十分に可能と思ったのですが、雲辺寺の登りは厳しいと聞いていたこと、日が暮れるのが早いこと、から②としました。

 

「民宿 四国路」さん

 遍路道からの距離、お値段もあり、「亀の井ホテル観音寺」よりは、「民宿四国路」が第一候補。G地図の口コミ評価も参考にしました。

 民宿基準で設備・食事は十分満足できるものでした。ご主人の対応も温和で好感を持ちました。

 お遍路さんと話をされる方で、話をむければ昔のお遍路のこともお聞きできると思います。

 当日は、外国人2名、私を含めて日本人2名でした。外国人1名のかたは、日本語がかなりできるようでしたが、交流に積極的ではない様子でした。ご主人は一通りの会話に留められていました。その辺りの気遣いはされてのお話です。

 G地図の口コミ評価の最新評に、訪問時に応答がなく電話をしてとありますが、これは私も経験しました。

 片足が少し不自由なのもありますし、キビキビといよりはノンビリな印象の方なので、私は、許容範囲です。

 「キビキビ」は人によっては、「トゲトゲ」になりますし、都市部のホテルじゃなく、民宿ですから。

 

 

2.第75番善通寺まで

 第75番善通寺に併せて金毘羅宮参拝となると善通寺又は琴平で宿として、その間で1泊となります。第71番弥谷寺の前で宿を取るのが無理がないでしょう。

 第71番弥谷寺門前の

  「いやだに温泉大師の湯 ふれあいパークみの」も検討したのですが、温泉は魅力的でしたが、お値段と旅程を考えて手前でも良いかとJR高瀬駅近くの「千歳旅館」としました。

 善通寺市の宿は、宿坊「いろは会館」を考えていたのですが満室でした。他、善通寺市内の宿も満室。三連休の中日なので、JR多度津駅近くの宿も満室。

 JR利用で戻ることにして「千歳旅館」連泊としました。結果として、軽い荷物で第73番出釈迦寺の奥之院もお参りできました。

 

「千歳旅館」さん

 今回、お遍路を終えて心に残るお宿がありますが、「千歳旅館」さんもその一つです。

 設備的には昭和な旅館です。トイレは和式で設備の古さはいなめなせん。

 女将さんの応対が好感が持てました。今回、二日目の朝出がけに、食事の好みを尋ねてくれました。連泊となるのでお気遣いを頂いています。

 一日目は「魚」がメインで、二日目は「肉」メインで、食材の重なりもなかったです。

 これに限らず、宿の持つ柔らかい空気があって、やむを得ずの連泊でしたが、満足できる二夜でした。

 宿に何を求めるかですが、「お遍路宿」との前提付きでお勧めです。

 

 

☆ 次回があるとしたら、「いろは会館」は経験したいです。