みなさまこんにちは!

 

今日はパソコンを整理していて、昔ネット上でみつけた面白い話や興味深いお話をまとめていたフォルダをみつけました。

 

そこにあったお話のひとつに心打たれたので、ご紹介したいと思います!!↓

 

 

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中学校1年のときのこと。授業中に隣の席の女の子がおしっこ漏らしていました。
女の子の席は一番後ろのはじだったので他には誰も気がついてない様子。
僕はおもむろに席を立って無言で廊下へ。

先生が後から追いかけてきたけど無視して手洗い場でバケツに水を汲むと教室に戻り
その女の子にぶっかけました。教室中大騒ぎになり、
学校に両方の親まで呼ばれました。

うちの親は相手の親に平謝り。
なぜそんなことをしたのか問い詰められましたが僕は結局最後まで口を割りませんでした。
家に帰る途中で女の子が事実を親に話したらしくお礼を言いにうちまで来ていました。
時は過ぎて今その女の子は僕の奥さんです。

>それ、何かの学園ドラマであった話だ

>それも元ネタがあったと最近知った。 昔の偉人の話だったみたい

 

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誰なのだろう、この昔の偉人さんって!!

 

 

ああ、本当に、余計なことはどうでもいいから、うまく生きるなんてことはどうでもいいから、このかばってあげた男子のような人になりたい。

42年も生きてきて、いざこのような場面に遭遇したら、こんなふうに行動できるだろうか・・・

そう思って悔しくて、おもむろに涙が出てきました。

 

 

わたしの大好きな孔子の言葉があるのです。

 

「自分の良心に照らして少しもやましいところがなければ、何を悩むことがあろうか。何を恐れることがあろうか。」

 

 

くっそぉ~~~~~(;_;) 

改めて、この言葉が身に沁みます・・・・・

 

 

やましいところがなければ、ということを考えたときにまず考えなくてはならないのが、

 

どこにやましさを置くか、ということなのだと思うんです。

 

 

たとえば先ほどの例であれば、先生にすぐに報告することで、正しいことをした、やましいところは一切ない、と考える人もいれば、

 

みんながいずれ気がついてその子を笑い者にした時にそれに加わらなかったことで自分にはやましいところなど何もない、と考える人もいれば、

 

笑いものにした人を怒ることで己の良心に照らし合わせて一切のやましいところがないと考える人も居れば、

 

その後もその子と仲良くすることでやましさは一切ないと考える人もいるだろう・・・

 

 

けれども、本当に己の良心に問うた時にやましくないように動こうと考えるというのは、

きっと、その状況に当たっての己のベストを尽くすことなんだと思いました。

 

 

自分はまだまだだと思いました。この偉人さんに比べたら鼻クソなんです。

もっともっと、自分のことなど手放して、いざというときには「自分の身を投げ打てるほど自分の良心を大切にできる人」になりたいと、思いました。

 

 

悔しいぜ・・・・・

 

記憶力が良いとか悪いとか、知識がいっぱいあるとかないとか、

どんな経歴があるとかどうとか、そんなことは上っ面なんだ。

 

この方法が思いつくくらいに柔らかい頭でいたいし、

思いついた時にすぐに行動できるくらい勇敢でいたい・・・・

 

そう思いました。

 

わたしはIQが高いことに惹かれるんですが、

きっと、「この状況にどう対応できるか」と、

恐れも心配も保身もよそに本気で頭をめぐらして全身全霊で考えた時、

人はその時だけでもIQが高まるのだと思うんです。 

己を忘れるほど集中したときって、意外なひらめきが降ってきたりしますよね。

 

 

ちなみにこのエピソードが、どの偉人さんのことなのか、ご存知の方がおられましたら、どうか教えてください!m(__)m

お願いします(*^^*)