こんにちは
今日は朝から冷たい雨ですね。
さすがにフレンチスリーブはやめてTシャツ過ごしています。
ホンのちょっとの差ですけどね、マンションは暖かいのです。😅←更年期
今日は氏神様へお参りへ⛩
神社の様子がいつもと違うなと思ったら秋祭りの準備をしているようでした。
拝殿の後ろには私たちが普段入ることが出来ない本殿があります。
今日は本殿へ行く通用口のような扉が開いていて、その扉からのぞき込んだら本殿の扉が開いているのが見えました。😮
何だか得した気分でした。😆
明日から三連休ですね。
「高山祭でも行こうか~」
って始めは言っていたのですけどね、何だか夫婦ともにお疲れ気味でして。🥶🥶
私がお疲れ気味なのは気圧の変化が更年期の身体にバシバシきているからなのですが
夫も何だか疲れているようで出掛ける気分にならないようです。
なのでこの三連休はゆっくり過ごそうと思います。
と、言いながらも
明日は実家の給湯器の点検に立ち会うため出掛けます。
2022年7月の三連休に京都を旅しました。
前回の記事はこちら
↓
横川エリアを見学した後は峰道Pへ向かいました。
お昼ご飯を食べるためです。
お昼ご飯のことを心配していたのですが、食事が出来るお店があった良かったです。
比叡山峰道レストラン
12:18
レストランの横が展望台になっています。
琵琶湖を眺めることが出来ますよ。
レストランは三連休ということもあり待ち時間がありました。
メニュー
店内にはお土産も売っています。
お土産を物色していたら待ち時間はあっという間に感じました。
買ったお土産
私は近江牛冷やし坦々つけ麺 1,300円
12:40
つけ麺は殆ど食べたことがなかったのですが、坦々味のつけ汁が美味しかったです。
季節メニューなので今は担々麺として提供されているようですよ。
私のお料理が提供された8分後
夫の淡海地鶏の親子丼 1,100円
夫は卵の感じが好みじゃなかったそうです。😅
窓際のテーブル席でした。
昼食の後は
西塔(さいとう)エリアへ
西塔地域参拝ご案内
焼き討ちの文字を見つけると何だか歴史が身近に感じます。
焼き討ちのとき、唯一被害をまぬがれた室町時代末期の建物、瑠璃堂は見逃しました。
道路の反対側にあったのですね。
三つのエリアの距離間はこんな感じ
西塔から東塔までは徒歩30分
気候が良い季節なら歩ける距離かな?
往復1時間に散策する時間を入れるとクタクタになりそうですけどね。😅
さて中へ
常行堂・法華堂(にない堂)
同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。
弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれています。
※にない堂は内部非公開です。
正面向かって左が四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂です。
四種三昧(ししゅざんまい)は、比叡山で最も歴史の古い、基本的な修行です。
(何かに熱中して余念のないことを三昧といいます。)
常坐三昧=坐禅に没頭しひたすら座り続ける。
常行三昧=念仏を唱えながらひたすら歩く。
半行半坐三昧=歩いたり坐ったりしながら行をする。
非行非坐三昧=毎日の生活そのものが修行。
なので↑常行堂は念仏を唱えながらひたすら歩いて修行する場所です。
右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。
半行半坐三昧には方等三昧と法華三昧があり、比叡山では法華三昧が行なわれています。
五体投地(ごたいとうち)や法華経の読誦からなり、歩いたり坐ったりしながら行をすることからこの名があります。
(両肘 ひじ 両膝 ひざ と頭を地面につけて行う拝礼を五体投地と言います。)
もしかしたら、このお堂の中で修業をされているお坊さんがいたのかも?😮
しづやかに 輪廻生死の 世なりけり はるくるそらの かすみしてけり
雄郎
先に進みます。
この水は飲めます。😆
現在の釈迦堂は延暦寺に現存する建築中最古のもので、もとは三井寺の園城寺の金堂でしたが、秀吉が文禄四年(1595年)に西塔に移築したものとなります。
ここにもパネルがありました。
本堂から見下ろす景色
蓑淵弁財天
ここで、ものすごく怪しい雲行きになってきてぽつりぽつりと雨が当たってきました。
嫌な予感がしたので散策は切り上げて小走りで駐車場へ
車の中に飛び込んだ瞬間
13:40
もう少し散策したかったのですが
雨が強くなってきましたし
夕方から祇園祭へ出掛ける予定なのでホテルに帰ることにしました。
ホテルに向かう途中
普通じゃない雨になりました。
比叡山延暦寺へはシャトルバスを利用していた人たちのいたので
他のお客さんが無事なのかものすごーく心配になりました。
今回私たちは足を運びませんでしたが
nhkの新日本風土記(2018年の再放送)で蓬莱丘地蔵を紹介していました。
坂本ケーブルを建設中に多数のお地蔵さんが発見されたそうです。
山焼き討ちの際に犠牲になった人々の霊を慰めるため、土地の人々が多くの石仏を刻み死者の冥福を祈ったものと伝えられています。
未だに大雨の後には新たなお地蔵さんが発見されるそうです。
歴史はまだ終わっていないのですね。
私たちは平和です。幸せです。
御朱印いただきました。
つづく