私は、亡くなった息子の大学時代、予備校時代、高校2年で、家から出して、どんな生活をしていたか知らない。電話も、ラインもほとんどたながらず、行ってやればいいのにいかなかったからた。極度の方向音痴で、みちがわからなくなる。友達できたと聞いたらできてないと。土日は図書館いると。

大学時代は、楽しかったようだ。 いじられたのがいけなかったんだと、いじった同級生を今でも恨んでしまう。障害児との遊びとか、勉強教えたり、行事したり、とても嬉しそうな顔している。でも、その学校にやりたいことが見いだせなかったんだろう。話しもなく、編入受かったから変わると、突然、電話かかってきて、アパート探しに行ったのが、最後になった。あの時、肩は抱いたけど、抱き締めておけば良かった。温かい体を、ご飯食べたら、逃げるように帰って行った。大学時代、発表会の時の服が、高校2出だしたときの服を着ていた。大事に着てくれてたんだ、涙が出た。私が、東京にいる頃出した手紙、引っ越し先に御守りと一緒に持ってってくれた。大事に車のキーにつけている。息子の財布はカバンに入れてもってあらいている。やっぱり、服を持って帰れば良かった。リュックにあった靴下は、左右ばらばらで、柔軟剤の香りがした。駿台後期で、最優秀賞の記念品を大切に持っていた。教えてくれなかった。すごく褒めたのに。何回も、やすみのたびに行くべきだった。

私の最大の後悔。コミュニケーションがとれてなかった。今度、私のところに産まれてきたら、遠くにはださないからね。そして、全力で守るから。