さゆりの3人目の子供である長男、

子供の頃は4月の誕生日のせいもあってか、同級生の中では体格も良くクラスではムードメーカーだったりして、担任からも信頼を得る子供だった。


長女、次女を出産した後の長男誕生であったから、さゆり自身もう何も欲しいものは無いと思うぐらいの心境になった。


田舎の長男の夫と結婚したさゆり、跡継ぎを産み育てるのは当たり前、そんな気持ちもすり込まれていたから、


次女出産の後の分娩台での安静時間に義父母から、

「次は男だぞ、」と言われたのも、何故か腹も立たなかった。


今思えばそんな時にそんな場所で言われる言葉ではないし、怒って当たり前の事だろう。

しかし実際にはその後長男を出産したわけであったから、さゆりの義父母に対する感情もスルーされていた。

もしそんな義父母の期待通りになっていなかったら、その後のさゆりは不必要な責任と男子を産めなかった自分自身への失望で、どんな精神状態になっていったか今も分からなかったと思う。



さゆりには2つ離れた兄がいた。

父親は兄を溺愛していた。兄が産まれたばかりの新生児にもかかわらず、刀や鉄砲などのおもちゃを良く買ってきたと母が話していた。

兄が少し成長すると、その刀で近所の畑のみかんを全て切り落としてしまい、弁償が大変だったと話す顔も決して怒っているような表情ではなかった。

次に産まれたさゆりの時は、出稼ぎに行っていた父は帰っても来なかったらしい。


そんな兄は来年小学校入学と言う秋にこの世を去ってしまった。



人生と言うのは、


何が良くて、何が悪いのか、


それは最後になってみないとわからないものであろうか…


「万事塞翁が馬」夫が好きだった格言であった。


良いことだと思ってもその先に落とし穴があったり、

悪い事が起きてもそのせいでもっと悪い事から免れたり…



長男が


家を継ぎ守って行く。


さゆりを含め昔の人間はそんな価値観にとらわれていた。

でも今の時代は子供(男子)に家や墓、それらを守ってほしいなんて事自体、期待すら出来ないものかも知れない。



夫と言えば、

「長男だから」と言う呪縛をきらっていた。

そのせいか、自分の息子には小さい頃から、自分が言われてきたような

「長男なんだから…」と言う事も言わなかったように思う。ただ、お腹の中ではうらはらにそんな気持ちを持っていたとさゆりは思っている。


もし本当にそんな気持ちがあるのなら、親であってもちゃんと言葉に出して子に伝えるのは大事な事であったとさゆりは思う。

その上で子供自身の考えで親の意向と違う道を行くならそれはそれで良い事なんだろう。

親にどう思われているか、期待されているかわからないままと言うのも子供にとって良かったのかどうか…






少し人より脱線をしてしまった長男はさらにドロ沼にはまって行く。


そんな時でもさゆり達両親は今からでも遅くないから…と息子自ら歩み寄って来るのを期待していた。


今にして思えばもっと本気で親の気持ちを伝えるべきだったとさゆりは思う。


でも、その時は何かが邪魔をしていた…としか、言い表せないのである。