実はさゆりが少し前からブログを書いているのを長女だけは知っている。
「おかあさん、ブログやり始めたんだよ、いろいろな事を書いているんだけど、○○の事(自閉症の孫)も書いてみたいんだけどね」と言うと、
「へぇ〜読んでみたいね〜、○○の事書いていいよ、書いてほしいよ、どんどん書きなよ。」と長女、
ちなみに母のブログを読むのは母が居なくなった後にして欲しいと、さゆりは長女に話してある。
まぁ、もしかしたらその頃はそんな物があったなんて忘れているかもしれないが…
長女は大学時代の同級生と結婚をした。
婿になる彼の大学院卒業を待ってからであった。
共働きで働いていた長女も子供が出来き、一人目の孫から2年目に産まれたのが○○だった。
長女は病院から実家にしばらくいると、婿のいる社宅に帰って行った。
その頃のさゆりの家の中は、義母が亡くなった後ではあったが、長男のことやら、また次女の事なので落ち着かない環境であった為、さゆりも長女には早く社宅に帰った方がいいよと言っていた。
長女が社宅に帰って行ってしばらくすると、長女の家族全員が体調不良だとさゆりに連絡が来た。
産まれて間もない○○もと言う。
さゆりはさゆり自身の次女がやはり産まれてすぐに風邪が感染り緊急入院をした時の事を思い出した。
当時はやはり夫の職場の社宅に住んでおり、その日は夫も当直で居なかった。具合の悪い長女を医者に連れて行った時はまだ次女も感染っているとは思わなかったさゆりであった。
新生児は母親の免疫が残っているから風邪をひかないって勝手に信じていた。
夫の居ない夜中、次女が何度もミルクを吐く…
当時のさゆりはそれでも救急車を呼ぶなんて考えもなく、朝になれば夫が帰ってくるから、それから病院に行こうと考えていた。
次女を抱え一睡も出来ないまま朝を迎え夫の帰りを待った。
夫が帰って来た時は具合がどんどん悪くなる次女とパニックで泣いていたさゆりがいた。
結局、次女は小児科のある大きな病院に入院になりしばらく保育器の中での治療となった。
今ならためらいもなく救急車を呼ぶなり、隣の街の夫の実家に連絡なりして助けを呼ぶなりとすると思うのだけど、その時はそんな重大な事になるはずがない…みたいな考えがさゆりにはたらいていた。
さゆりは当時の事を思い出し、仕事場から長女達の住む社宅に飛んだ。
孫を見ると昔の事がフラッシュバックした。
昼には救急病院にも連れて行ったという孫はさゆりの目から見て、これはもう重篤という状態であった。
さゆりは孫が産まれた地域でも大きな病院に連絡をして長女と孫を車に乗せ病院に向かった。
夜の9時前であった。
同じく発熱で具合の悪い婿と2歳の孫は留守番をさせた。
診察をした小児科の医師は難しい顔をして、咳き込む長女に対しても
「お母さんも具合良くないのか!」と厳しい言葉を投げつけた。
処置室の片すみで少し医師が離れたすきに、孫の呼吸が止まった。
「先生!」と叫ぶ親子は処置室の外に出され、孫は医師に託された。
それから何時間も処置室の外で待たされた親子、長女も高熱を出しており、きっと正常な判断が出来ない状態であったに違いなかった。
さゆりは後悔した。
家の中がどんな状態であっても、もう少し長女親子の世話をすべきだった。
さゆりは万が一の時を考え、夜中に婿に連絡をした。
「あなたも具合悪くて大変かもしれないけど、来なさい。気をつけて、」
やはり咳き込む2歳の子を毛布に包み婿も病院にやって来た。
「夜中だけど、ご実家のご両親に連絡しなさいね、」さゆりは婿に言った。
婿の連絡に、あちらの両親は年老いたおばあさんもいるので行けないが、お任せすると言う返事だった。
さゆりは何か腑に落ちない気もしたが、今はそんな事にかまっていられない。
さゆりは祈った。
ふだんは信仰心の欠片もないさゆりだったが、
「神様、神様がいるならお願いです。この孫をどうか助けて下さい。私の命を削ってでも、どうか助けて下さい。」
処置室の前でずっとずっと祈っていた。
処置室の戸が開いて医師が出てきたのはもうすぐ夜が明けるという時間であった。
それからは娘と病院の側にある家族専用の部屋を借り孫の一進一退の状況に備えた。
しばらくした後に孫は県の子供病院に救急車で搬送され、長い入院生活が始まった。