死に対する恐怖を忘れる為、認知症になるのだろうか、
何人かの身内の死を体験して来て、さゆりは将来、いや、すぐそこに来るかもしれない自分の最後を思う。
病気が発覚して真綿に首を絞められるのは、それが最愛の人であっても自分であっても耐えられないのではないかと思う。
そんな現実に直面したら、さっさと逃げ出したくなるんだろうな…
そんなさゆりの為に、実家の母も2年前に突然死した夫も気をきかせたのではないかとさえ思う。
変なもので結婚して40年も経つと、お互いの最後を想定したりしてた。
不思議に絶対、さゆりの方が年下というのもあり、夫の方が先に逝って当たり前とも思っていた。
しかし、何故か、例えば、
病院の一室で、途切れがちな夫の呼吸の音を聞きながら、夫の名を呼んでいるさゆり自身を想像する事はなかった。
さゆりは、不謹慎と思いながら夫の最後にはなんて呼びかけるのだろうと、心配していた時もあった。
結婚したばかりの時は、
夫の家族が夫に呼びかけていたように、
「○ーちゃん」と呼んでいた。
言葉を話し始めた長女が、夫にやはり「○ーちゃん」と言っているのを聞いた義母に注意され、
「おとうさん」と呼び名を変えた。
子供達が大きくなると、何故か子供達は、
「おとん」「父ちゃん」と変わっていった。
さゆりは実は夫の名前も、「おとうさん」とも呼べなかった。
だから、もし夫の最後に立ち会った時にさゆり自身夫の事をなんて呼ぶんだろうと、思っていた。
実際にはそんな心配する必要もなかったのであるが…
命あるものは産まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっている。
当たり前の事であり、誰にもそれこそ平等に訪れる。
そんなに怖がる事も無いのかもしれない。
親しい者達がそこに居るかと思えば、後は、この世でやり残した事をやってみても良いのかと、さゆりは思っている。
義母の死からしばらくしてさゆりは転職をした。
もうその頃にはさゆりが名前だけ店長をしていた店に、武者修行をして帰ってきたオーナーの息子が働く様になっていた。
さゆりは自ら店長の名前を返上し、仕事への熱意も無くなって来ていた。
たださゆりはその間、調理従事者の経験ありと言うことで、調理師免許を取得していた。
その試験の日に休みを取るさゆりにオーナーは、「そんな資格だけの物、取得したって、何にもならん!」と、言っていたが、さゆり自身は、名前だけ店長の自分に少しでもはくをつけたかったのであった。
その思って取った資格がその後10何年もする仕事に役立つとはその時のさゆり自身思ってもいなかった。